布団大好き!

日記や所感など

寂しいと思えないことの寂しさ

 

かの有名な『妖狐×僕SS』の作者藤原ここあ先生の短編集『お嬢様と妖怪執事』の最後の作品「私は」が初めて読んだ10年前からずっと大好きで、今回のタイトルはラストの一幕のモノローグから。

「私は」の主人公は高校三年生。写真を撮るのが好きな大人びた少女なんですが、その趣味に対する気持ちを誰とも分かち会えないこともあって同級生とはどこか距離を感じている。友達はそれなりにいるけれども、一番大切なものを分かち合えない友達を近くに感じられず、別れを寂しいと思えない。

そんな虚しさを抱えながら卒業します。その日ただ一人だけ自分の世界を共有できる相手と思っている写真館の気難しい主人に「私そんなだから、空虚なんですよね」と零すと、彼は数は少ないけれども丁寧な言葉でその痛みを掬い取る。

「好きなものを分かち合えない淋しさに一生苦しむかもしれない、だけど君は出会ったんだ、それほど好きなものに」

「分かち難いほどの気持ちに」

こんな言葉で彼女を肯定してくれる人は彼だけだったのです。写真館の主人とはもう会うことはないのですが、彼女はこれからも写真を撮り続けるのでしょう。

誰とも交われないからこそ表現できる世界がある。それは紛れもない彼女の世界。

だとすれば、それは虚しいことなんかじゃない。

 

この話をどうしてそんなに好きかというと、私もまた同級生との別れを寂しいと思えない人だったんですよね。

友達は、多くはないけれどいました(ありがたい)。学校生活が楽しくないわけじゃなかった。

でも、幼稚園卒園も、小学校卒業も、高校卒業も、あまり寂しく思えなかった。別れを惜しむことができなかった。

一緒にいた友達やクラスメイトに別れがたいほど切実に縋ることができなかった。自分の世界に友達を入れていなかったんですよね。

そんな自分を恥ずかしく思っていたし、彼女の言葉通り「虚しい」と思っていました。だから、「私は」の主人公に自分を重ねて救われていたんですよね。

 

高校卒業から早いもので4年経ち、今日大学の卒業式(だった日)を迎えました。

4年間色々なことがありました。

1年目はキャンパスがとにかく遠く、生きるので精一杯で、記憶もないし思い出もありません。2年目は都内のキャンパスになったことで少し余裕ができ、専攻の友達なんかもできました。

3年目からは専攻の勉強がより専門的で面白くなり専攻の友達や他専攻の友達とも本格的に仲良くなっていよいよ楽しかったです。

4年目はそれまでに得られた友達ととにかくたくさん遊びました。忙しかったけど旅行行ったり出かけたりとにかく色々。

そういうのが詰まった大学生活は本当に楽しかった。もう大学生活が終わりで、こんな事もう二度と出来ないと思うと、こんなに友達に会えることなんてもうないと思うと、たまらなく寂しいです。

だから、私はこの4年でちゃんと人と関われたんだなって思います。

寂しいと思えない寂しさがあることは悪いことじゃない。けど、寂しいと思えることはやっぱり尊いことなんです。寂しいと思わせてくれた友人のみんな、ありがとう。