かつてここにあったすべて
お茶会は一期一会とよく言いますよね。同じお茶室、お抹茶、お菓子、お道具、お客様が揃うことは二度とない。同じようなことをやっているようで、二度と同じお茶会はないのです。
バレエの発表会も同じなんですよね。1年半あれば子供の生活なんていくらでも変わるから同じメンバーで踊るとかない。受験で抜けたりとかあるから今いるメンバーが次の発表会ではまったくいないとか普通にありえる。同じ友達とまた次も踊れるなんて中学生以上になったらそうそう思えないんですよ。
中学受験で抜け、高校受験で抜け、部活で抜け、大学受験で抜け、くしの歯が抜けるように見知った子がいなくなっていく。私は早々にリタイアしたけど、戻ってきた時、知っている人は5人しか残っていなかった。
同期と、よく一緒に踊っていたひとつ下の学年も全員やめていて
ひとつ上の学年はよく残った方で、3人いた
そのまたひとつ上に2人
でも今回の発表会ではひとつ上とその上、それぞれ1人を残してやめている。
ふにゃふにゃの小学生だったわたしは、いつの間にかスタジオで4番目に年上の生徒になっていた。
10年前の発表会のビデオに写っている子供で今もやってる子なんて10人いない、片手では少し足りないくらいだ。元は100人くらいいるんですよ、すごいでしょ。でももうほとんど残ってない。寂しいね。
もう居ない、憧れの先輩だとか一緒に泣いた同期とかかわいかった後輩とかが頑張って踊っているのを見る。大人になるとたくさんのことが見えて、ああこの位置の子は期待されていたんだなとか、この子は昔からうまかったなとか、そういうことがわかる。
自分は自己評価ほど下手じゃなかったなとかも思う。あの頃ほんとに劣等感の塊で、才能ないしそれ取り返すのも無理って思ってたけど、意外とやれてる。アラベスク綺麗じゃんとか。
なんか、ひとつ上の子たちで今もやってる子ってそりゃ上手いわけですよ。でも10年前のビデオ見ると、その子は早熟だったわけではなくて。今の後輩とか見てても、才能って確かに大事だけど、最後の最後にものを言うのは努力だなって思う。かけた時間と情熱?なんていうのかな。結局それは裏切らない。
まあほんと「最後の最後には裏切らない」ってだけだから、年単位で待つ必要があるけど。
でもずっと続けてた子がまだ光ってなかった頃から周りと違うなと思ったのは、いちばん楽しそうに踊ってるんですね。笑ってんの。楽しそうに。
この子は本当に踊るのが好きだったんだろうなあ。
私も目の前にあるものを楽しめていたら、少し違ったんだろうか、と昔よく思ってた。今は、それは違う、と思うけど。
小学生だった頃って自由じゃん。本当になりたいかどうかも考えずに「しょう来の夢はバレリーナです」とか言えるじゃん。
今もう、本心から思ってることですら言えなくなっちゃったけど、発表会のビデオ見るとそういうのあったなって思い出す。
もういなくなっちゃった友達、語れなくなった夢、そういう、かつてここにあった、今はもうないものすべてが、どうしようもなく愛おしい。
そこにあるものが手放せないから、私はまだ踊っているんだと思う。