布団大好き!

日記や所感など

さわやかな秋晴れの午後。

 


空気と同じくらい心も澄んでいます。「天気いいし、踊りたいな」なんて台詞が自分の頭の中に飛び出して、びっくりしました。バレエに対して、何とも言い難いどろどろした感情をずっと抱えていたのが嘘のように、最近は雑念もなくただひたすら目の前の踊りに夢中になっています。

9月か10月くらいから、バレエが楽しいと思えるようになりました。柔軟は面倒だし、バーレッスンはいつも理想とは程遠いし、夜遅くまで吐きそうになるくらい踊るし、でも、自分の見定めた目標に向かって目いっぱい頑張ることができている。それってすごく気持ちいいんです。

小学生の頃、バレエに打ち込めなくて、うまくいかずに逃げて

それから大学受験まで、何にも一生懸命になれなくて

大人クラスでは周りの温度差に耐えられなくて

今やっと、この15年ずっと心の中にあったわだかまりを昇華できた。

私はバレエで挫折を味わったけど、自分自身の選択と努力によってそれを克服した。今はバレエに出会ったこと、挫折したこと、全てが良かったと思える。

そう思えるようになったことは、人生の中で誇れるものの1つだ。

私、今とても幸せです

私はずっと何のためにバレエをやっているのか分からなくて苦しかった。小学生の時、バレエは私にとって何にもならなかった。同学年の友達とは話が合わなくて一緒にいるのがつらかったし、バレエは一向にうまくならなかった。

逃げたら楽になるかと思っていたらそうでもなくて、今度は頑張れなかったという経験が私を苛んだ。

もう一度頑張れば少しでも救われるかと思ってバレエに戻ると一分一秒が苦痛だった。誇張でなく文字通り呼吸をするごとに自分と理想との隔たりを思い知らされる。どれだけ頑張っても理想には届かない。頑張っても報われないし、でも頑張らなくても苦しくなることは10年かけて知っている。

私にとってバレエは逃げ場のない苦痛だった。終わりのない呪いだった。バレエに出会わなければよかったとずっと思っていた。

でも今はバレエがとても楽しい。発表会に向けて全身全霊で自分のすべてを注ぎ込んで、毎回くたくたになるまで練習している。そうすると自分が成長しているのがわかる。それはとても幸せなことだ。

つらい練習に耐えたクラスメイトとは知らず知らずのうちに仲良くなれた。同学年の子ともうまく仲良くなれなかった私が10歳近く年の離れた子たちとは仲良くなれた。連帯感。ともに頑張った仲間みたいな感じ。

音楽と自分が一体化する。耳から流れ込んできた音楽が自分の中で渦を巻いて勢いを増して踊りとなって手足から、全身からほとばしり出てステージ上を流れる音楽と一体化していく。光と音楽と空気と全部。

自分が透明な存在になれる。音楽と一体化して自分が自分じゃなくなる。汗を流して基礎練習に打ち込んでいる間はひたむきさだけを湛えた魂だけの存在になったような感覚になる。

それが幸せ。

いちばん大切なものは何ですか

 

毎日が流れるように過ぎていく。私はその流れの中で呼吸している。

 

毎週のようにバレエの合同練習がある。通常レッスンは22時までやるのが当たり前、遅い時は23時近くまでレッスンがある。

そんな風に日常の大部分を一つのことに捧げるのは私にとってとても心地よいことだ。

大学受験、それが終わって数年したあとにはコールセンターのアルバイト、半年前からはそれにバレエが加わった。

私は何かに飲み込まれそうになるくらい夢中になるのが大好きだ。

 

大学受験の直前期は色々なストレスが重なって胃を壊した。よく吐いていた。特にミルクティーを飲むと必ず吐いた。当時恨んでいた人の好きな飲み物だったから。胃液が座っている時も歩いている時も勝手に上がってきた。

昨日レッスン中に久しぶりに胃液が口に上がってきて懐かしかった。胃を弱らせるくらい頑張れているんだと嬉しくなった。筋肉を痛めたのも実は少し嬉しい。

限界まで頑張ることが私の好きなことで限界まで頑張れているかどうかは私の体がもう限界ですと言わない限りわからないからこれで私はちゃんと頑張れているんだと思える。

 

 

バレエと私 3

大人クラスでバレエを始めてみると意外なことにとても楽しかった。経験年数も体のコンディションもやる気も皆バラバラなので自分のペースで周りを気にせず頑張れたのが良かった。

スタジオで小さい頃に習っていて、若くてやる気のある私は先生に目をかけて貰えたので、そのことで嫌な言葉を聞くこともあったけれど、まったく意に介さないどころかわたしは喜んだ。

復帰半年後には発表会に出た。端役だったけれどライトに照らされる熱さは子どもの頃と同じだった。

バレエが楽しいとはっきり感じたのはあの頃が初めてだった。レッスンに行くのが憂鬱なのは変わらなかったけれど、踊るのは楽しかった。そして小学生の頃も本当は楽しかったのだと気付いた。

バレエが好きだ、そう思えるための10年間だったんだと思った。

 

復帰して1年と経たないうちに私はまた鬱屈とした気持ちになっていった。というのもバレエに慣れて感覚が戻ってくるにつれ、大人クラスのレベルや温度感が物足りなくなったのだ。

私にとってバレエは血のにじむような努力を重ねてなお届かない理想に向かってひたすら手を伸ばし続けるものだった。大人クラスの他の人にとってバレエはまあなんというか、ヨガの延長みたいな娯楽だった。その温度差に我慢ならなくなった。私のスタンスは専科クラス(小さい頃から続けている子が中学生〜高校生から入るクラス)のそれに近かった。

専科クラスで踊るには実力が足りないと分かっていながらそれでも専科への思いを捨てきれなかった私は、何人かの友人の後押しの力を借りて専科クラスのレッスンを受けることになった。

 

専科クラスのレッスンを受けてみるとあまりのハードさに毎回泣きそうになっていたような気がする。1年と経っていないのに記憶がおぼろげでよく思い出せない。

ただ体は確実に変わっていたし、一度専科クラスのレッスンを受けてみるともう大人クラスの空気感には本格的に我慢ならなかった。大人クラスのだるそうな諦めたような温度の中で発表会に出たくなんてないと思った。

そして私は専科クラスとして発表会に出ることを決めた。

「専科で発表会に出たいです」そう宣言した時、先生は「頑張らなきゃだめよ」と言って、それでも、わかったと言ってくれた。あの時なぜ断らなかったのだろう、とたまに思う。当時専科とは程遠い実力だった私の成長を期待してくれたんだと思うけど、たいした器だなと思う。

バレエと私 2

バレエと中学受験に見事に失敗して中学生になった私は「頑張る」ことがトラウマになっていた。とにかく頑張って失敗するということが嫌だったのだ。

今なら絶対に失敗しないように頑張る、あるいは失敗したとしても諦めがつくぐらい頑張る、という方向へ向かえるが当時の私の取った選択は「頑張らない」だった。という訳で勉強はもちろん、交友関係、部活選びもすべて頑張らないことを念頭に行動した。選んだ部活は週1回の放課後の活動しかなく長期休暇中の活動もない手芸部だった(手芸部の名誉のために書いておくが、私以外の全員は心から手芸を楽しんでいて、かつ学業面でも情緒面でも非常に優れていた)。

 


バレエをやめたことはずっと苦しく思っていた。ダンス部が踊っているのを見ると羨ましくなったし、テレビでダンスやバレエが出ると釘付けになった。何度も何度もバレエを思い出して、やめたことを後悔したり、正当化したり、他のことに浸って忘れようとしたりした。

とにかく私は頑張ることから逃げていたわけだが、幸か不幸か中高の気質は勤勉努力だった。みんな真面目。勉強も部活も全力で頑張っていた。そのような級友達の姿は否が応でも視界に入ってきて、私は違うんだと線を引いていたが、とても輝いて見えて羨ましかった。

けれど、どれだけバレエをやめたことを後悔しようと、今更戻るのはもう無理だった。12歳から15歳というバレリーナの成長に一番肝要な時期をバレエから離れて過ごした私に未来はなかった。

 


そして私は大学受験を迎え、大学生になった。

大学生になってもバレエに対する気持ちは変わらなかった。このままずっと後悔を抱えて生きていくんだと思われた。

 


「その時」は突然に訪れた。

大学2年の夏、その前の歳まで家庭教師をしていた子の付き添いでその子の友達のバレエスタジオの発表会に行った。小さなスタジオだった。公民館のホールみたいな所が会場で舞台装置なんてものはなかった。プログラムは色つきの画用紙にモノクロで印刷したものだった。私は衝撃を受けた。

Nバレエスタジオの発表会はキャパ300人くらいの客席をいっぱいにして大ホールで舞台装置も使って本格的にやっていた。毎回バレエ団から監督とゲストダンサーを呼んでいた。プログラムは印刷所できちんと製本したもので、生徒一人一人の顔写真が載っていた。習っていた当時それは当たり前のことだと思っていた。しかし当たり前ではなかったのだった。Nバレエスタジオは郊外の個人スタジオとしては珍しいほど本格的に指導や発表会をしているスタジオだった。

私は自分の失った(というか諦めた)ものの大きさのショックを受け、そして、どういう論理か分からないが、どうしようもない気持ちに駆り立てられてその日のうちにNバレエスタジオの大人クラスに体験レッスンの予約を入れた。

バレエと私

 

クラシックバレエを習い始めたのは小学校1年生の時のことだった。

バレエを習いたいと言った記憶はない。というかその頃の記憶自体が、おぼろげで断片的だ。家から通える範囲のバレエスタジオをいくつか見学していた記憶から私のバレエに関する記憶は始まる。一番最後に見学したスタジオは、一軒家の一階部分がスタジオで、白い壁にグリーンの屋根と赤い柱が映える、きれいなスタジオだった。生徒たちはお揃いの白いレオタード姿でレッスンを受けていた。

気付いた時には私はNバレエスタジオの生徒だった。

 

何か習い事を始めるのに、7歳という年齢が遅いと考えられることはそう多くない。しかし、ことバレエにおいては7歳というのは遅い方だった。たいていの子は3歳か4歳のうちに習い始める。7歳は手遅れというわけではないが、ギリギリの年齢だった。

そういうわけで私は同学年の皆を追いかける形でバレエをスタートした。スタートの遅れと生来の不器用さと勤勉さの欠如から優位性を発揮することはなかったが、まあまあ楽しくやっていたんじゃないかと思う。楽しいと思った記憶はないけれど、小学校のクラスメイト達に自分がバレエを習っていることを話していたのだからバレエをポジティブに捉えていたのだと思う。

はじめて出た発表会の演目は「ディズニー・ファンタジー」。私が踊ったのは「おおかみなんかこわくない」とエンディングの「イッツ・ア・スモールワールド」。同学年のもう片方のグループはビビディバビデブー(正式名称分からなくてごめん)、一緒に踊った一つ上の学年はケイシージュニアとプーさんだった。スキップして申し訳程度に何かポーズをとるだけのまあ小学校一年生なりの振付だったけれど、ステージでオレンジ色のライトにじりじりと照らされて、暗い客席から何百という視線が降り注ぐのを感じた時の緊張は今でも覚えているし、ダメだと言われたのに家族の姿を探して目を合わせてしまったことも覚えている。

2回目に出た発表会では2つの演目に出た。一つは先輩と踊るものでもう一つは後輩と踊るものだった。前者はディズニーの曲を使ったもので私の学年は人魚姫のカニの踊りだった。後輩と踊る演目はオリジナル作品で真夜中のおもちゃ箱というものだった。兵隊の踊りを踊った。

 

3回目の発表会を迎える頃からか、あるいは2回目の発表会が終わる頃からか、細かいことは忘れたがだいたい10歳前後くらいからバレエが嫌になり始めた。早い。早すぎる。まだ始めて3年だ。毎回レッスンの前に「行きたくないなあ」と思っていた記憶がある。これは今でもそうだけど。

そう感じるようになった原因は大きく分けて3点ある。

まず、同じクラスの子になじめなかった。私は地元の市立小学校ではなく電車とバスで40分くらいかかる国立の小学校に通っていたのでみんなの学校の話についていけなかったし、DSやたまごっちなどといった当時ほとんどの子が持っていたおもちゃを一切持っていなかった。今ならだからなんだという感じだけど共通の話題がなくてそれ以外の話題、たとえば趣味の話とか世間話みたいなもので盛り上がるような年齢ではなかった。親同士の交流はあったので一緒に遊ぶことはあったけどやはりクラスの子から疎外感を感じていて嫌だった。

次にいやだったのは全然バレエが上手くならないことだった。スタートの遅れを取り戻す器用さと勤勉さを持ち合わせていなかったのだ。前述の疎外感からあまりバレエにのめりこめなかったのもある。

バレエが上達しないこと以上に嫌だったのが母親から周りの子と比べられることだった。まあ事実上手くはなかったし、安くはないお月謝と送り迎えの手間をかけているのだから上手くなって目立つ振付をもらってほしかった母の気持ちは今ではよく分かる。

そういうわけで私の気持ちはだんだんとバレエから離れていった。けれど母親の期待を背負っていることを子供心に感じていたのでやめたいと言い出すのはもっと後になる。

 

3回目の発表会は現役時代で一番思い出深い回だった。演目は「不思議の国のアリス」と「水兵さんの一日」。

この発表会はしばらくの間私のトラウマだった。というのも、不思議の国のアリスで途中座る場面で座る方向を間違えたのだ。実際は私ではなく私の前の子が間違えていたのだがDVDをちゃんと見てそれに気づいたのは数年後のことだった。加えて水兵さんの一日でダブルピルエットの着地に失敗した(と思っていた。数年後にDVDで確認したら実際は少しずれた程度だった)。

存在しない失敗に数年間悩まされていたわけで、繊細なる少女の感性にはまったく痛み入るばかりだが、そうは言ってもこれは思い出深い発表会だった。特に3学年で作り上げたアリスの世界が本当に楽しかった。あれから今までのすべての発表会のDVDを見たけれど、小学生の演目として不思議の国のアリス以上にエンターテインメント性と芸術性の高い演目はなかったと思っている。

 

面白いことに発表会での失敗は私のバレエに対する気持ちを良い方にも悪い方にも変えなかった。

ただそれまで通り、どうにもならない行き詰まりを感じて、やめ時をずっと探していた。

 

「やめたい」と宣言した日のことは今でも覚えている。

何度も何度も、やめたいと言おうとして、母の悲しむ顔を思い浮かべて思いとどまり、レッスンで苦痛を感じてはやめたいと思い、思いとどまり、そういうことを何十回と繰り返して、その日とうとう言葉が音になって口から出てしまった。水曜日のレッスン帰り、駐車場に車を入れてから暗くなった中庭を抜けていた。バラのゲートを抜けたところだった。

受験勉強に集中したいと母には言った。今でも訂正していないけれど、嘘だった。受験なんてどうでも良かった。ただバレエから逃げたかった。その一方で、バレエをやめることを惜しいと、もう戻らないであろうことを悲しく思っている自分もいた。

 

やめる日に先生と撮った写真(記憶にない)が先日リビングの棚の奥から発見された。あの日「受験が終わったらまた戻ってきてね」と言われて「受験でやめるわけじゃないから戻ってこない」と思いながら「はい」と嘘をついたことを覚えている。

 

続く。

 

 

初秋

2019-10-14、月曜。最高気温22℃

台風一過の快晴から一変、雨が降って肌寒い。台風の雨は28℃あったのでなんだか蒸し暑かったが今日の雨は秋雨といった感じだ。

夏はベッドで寝ているうちに終わってしまってわたしの入社2年目の最初の月は瞬きをしている間に半分過ぎた。

たった1年でこんなに成長するなんて信じられないと言ってくれる人もいればあんまり評価してくれない人もいて、面白い。

 

太ってしまって、肉が邪魔なので、痩せたい。