布団大好き!

日記や所感など

点と点を繋ぐ線が世界を作る

 

「沿線」という世界の話。

 

千葉県に住んでいると思うんですけど、路線によって沿線地域の雰囲気って随分変わりますよね。東京都とかもそうだよね。神奈川や埼玉とかもそういうとこありませんか?まあ埼玉県のことは詳らかには存じ上げないんですけど。

たとえば千葉だと、京葉線総武線常磐線、京成線あたりが主要な路線ですが(ちなみに千葉県には東葉高速鉄道とか北総線とか面白い路線が他にもあるので興味がある人は調べてみてね)、各路線によって沿線の雰囲気が全然違います。一番顕著なのは京葉線じゃないかなあ。海浜幕張以北は東京湾岸の埋立地をずっと走ってるので、キラキラした新興住宅地やオフィスビル街、工場地帯と生気のない景色が堪能できます。対照的なのは総武線。昔から人間が生活していた場所を走ってるので、景色の生活感がすごい。生活の権化かよって思う。

 路線によって沿線に独特の雰囲気が生まれるのって不思議だなあと思います。似たような雰囲気を持った土地を繋いで路線を作ることで必然的に似るのか、路線ができたことによって共通の雰囲気を纏うのか。卵が先か鶏が先か、みたいな。

鉄道会社って不動産業をやってるじゃないですか。ていうか鉄道目指す人って列車の運行よりも沿線開発の方に主眼を置いてる人の方が多いくらいですよね。街づくり。そういう側面が強い路線なんかだと、さっき卵が先か鶏が先かみたいな話は、後者になるんじゃないかな。線を引くことで世界が形成される。

そうだとすれば(不動産系を志望したことないし社会学とかかじったこともないので話がかなりいい加減なのは許してください)路線を作るって単に移動手段を確保するだけじゃないとても創造的な行為ですよね。その土地の物語を作る。沿線という世界を作る。

すごくない?

まあ全部フィーリングで適当に言ってるだけなんですけどね。

 

普通列車や徒歩、ないし自転車で移動してると土地の雰囲気がグラデーションのように変化していくのを感じられるのでそういうことをよく考えるんですが、これが新幹線や飛行機、高速道路での移動になるとそうはいかなくなりますよね。後者の3つの交通手段って、基本的に出発地点と到着地点しかなくて、途中の景色ってあまり意識されないんですよ。だから線の移動じゃなくて点から点の移動になる気がする。

だから何だって話ですが土地と土地のつながりが意識されないのって不思議だなあと思ったり。ハウルの動く城みたいに、ドアを開けたらそこはウェールズでした、みたいな感じがする。

でも、こうも思うんですよ。高速道路の移動って確かに周りの景色は意識しないし、壁がずっとあったりすると今どんな場所を走ってるのか分からない。IC周辺以外の場所って、物理的に高速道路の近くにあったとしても高速道路を走ってる車にとっては近くない。だけど、高速道路も道路によってそれぞれ違う雰囲気を纏ってるんです。違う場所を走ってるんだからあたりまえ体操かもしれないけど、ただの道路じゃないんです。東北道東名高速は全然雰囲気違う。だから高速道路の移動だって決して点と点しかないわけじゃない。そこには線がある。土地と繋がっていないかもしれないけど高速道路という現実世界から隔絶された一つの世界の中でちゃんと線の上を通っている。と、思う。

 

6月の最終日であった昨日は母親と二人で小田原に行きました。言うまでもなく車です。東関道から湾岸線、首都高台場線、銀座線を経由して渋谷の方から東名に乗り、小田原厚木道路で小田原へ。台場線の眺めは何度見ても格別ですね。東京湾岸地域に住んでいてよかったとこういう時に強く思う。

今まで高速道路に乗った距離と路線の割合を出すなら圧倒的に9割くらいは東北道を走っています。東北道のことなら浦和から青森まで、上りでも下りでも何でも聞いてください。目隠しされていきなりぱっと景色を見せられてもだいたい何県のどのあたりにいるか答えられるくらいには慣れ親しんでいます。それだけに久しぶりに乗った東名は東北道との雰囲気の違いをはっきりと感じられたのかな。あんまりうまく言えないんですけどね。

地元に帰ってから地元のイオンに寄って母親が食料品を買っている間に本屋をぶらぶらしてました。好きな作家の本でまだ読んだことのない本を3冊と昔読んでずっと忘れられない本を1冊買いました。読んだらまた感想を書きます。