布団大好き!

日記や所感など

演奏会と私の四畳半

2017年12月17日、晴れ。寒い。

110デニールのタイツに、毛糸のパンツ、二枚重ねのあったか下着、お腹と足先のカイロ、冬服にコートで武装していたのに寒い。そう言ったら一緒にいた友人に「それは暑いよ」と言われた。春よ来い。

ワグネル女性合唱団の第67回定演に行ってきた。

ワグネルの定演に行くのは2回目で、1回目はちょうど一年前、第66回の定演だった。

去年と今年の公演で思ったことを備忘録として書いておく。四畳半神話大系的な話。

ちなみに、先に大事なことだけ言っておくと、公演は言葉で表しきれないくらい素敵でした。

 

大学1回生の春、私は最終的にある2つのサークルのどちらに入るかで迷っていた。今所属している茶道のサークルと、件のワグネルだった。

茶道は受験期の恩師に勧められて興味を持った。ワグネルは今回で引退したミオさんに誘われたのだ。どちらも素敵で、捨て難く、大変ながらも充実した未来が待っているように感じられた。色々考えて、茶道を選び、今に至る。

茶道サークルは楽しかったけれど、大学1年の頃からずっと、自分の選択に疑問を持っていた。ワグネルを選んだ方が良かったのではないか。茶道を選んだのは失敗だったのではないか。茶道サークルの幹部となることを決めた最近でもぼんやりとその疑問は残っていた。

そんな最中ミオさんにお招きいただいた定演。ミオさんの引退の場でもあるので、共通の知り合いである友人を誘ってお邪魔した。

行ってよかった。クリスマスプレゼントとばかりに出された超弩級の課題を家に残してでも、行ってよかった。課題はいつでもできるのだ(できるとは言ってない)。

 

特に印象深かったのはミオさんが指揮をしたセカンドステージだった。ファーストステージはずっと歌っているミオさんを見ていたけれど、セカンドステージでは指揮を執るミオさんの顔は見えなかった。ミオさんの指揮は迫力があって、皆の歌声を引っ張っていて、指先で糸を引いているみたいだった。
歌っている人は皆真っ直ぐにミオさんを見ていた。なので私は、歌っている人の目に映るミオさんを見ていた。皆とミオさんを結ぶ強い糸が綺麗だった。

セカンドステージの最後の曲はラストの盛り上がりの迫力とハーモニーの美しさが合わさって感動的だった。言葉にすると陳腐なのが悔しい。なにかを褒める時に言葉が足りないと思わされるのは久しぶりだ。

島唄」も印象に残っている。澪さんのソロも勿論綺麗だったけど、それ以上に、中盤で全員がうねるように歌う箇所が綺麗だった。全員の歌声が一つの楽器の音色みたいだった。

 

どの曲も素晴らしくて、コートを持っておくのも忘れて夢中になって聴き入っていた。全員がとても綺麗だった。もし私がワグネルに入っていたら私はあちら側にいたんだろうかと少し思って、けれどすぐに、それはありえない話だな、と思い直した。

たった1回の演奏会のために、何曲も、あんなに綺麗な演奏に仕上げるのに、一体どれだけの努力が必要なのか。想像はついたけれど、実感を持って想像できるほど、私は人生で何かに打ち込んだことはなかった。私は努力を続けられる人間じゃなかった。

そもそも私は楽譜が読めない。ドの音から指で追って数えて書き込まないと読めない。四分の三拍子が何なのか分からない。だけど、楽譜が読めたとしても私にはこの集団は入れなかったと思った。

眩しかった。完敗だった。何も競っていないのに、私は負けていた。

合唱団の人たちの努力の結晶は、耳にビリビリと感じられた。全身が熱くなって、少し泣きそうになった。

 

敗北感を味わって、どこか安心している自分がいた。ワグネルを選んでいた未来はない。そんなパラレルワールドは妄想の中にすら存在しない。「タラ・レバ」が一つ消えて少し楽になった。

あの時の自分の選択はちゃんと正しかった。

ワグネルを選ばなかった私は茶道に打ち込むわけでもないのだけど、それでも、前を向こう。

そんなことを思ったワグネル定演だった。

素晴らしい演奏をありがとうございました。

 

 

氷の世界

すべてが凍りついている。
ここは氷河期が到来してゆうに百年は経った世界だ。海は凍りつき、時折何かの拍子で砕けた氷の塊が零度の海をさ迷う。
氷河期が来ることは数百年も前から分かっていたそうだ。しかし政治家や民衆、実業家達は、何の手立てもできないままでいた。先立つ経済的な不況が、人々から思考力を奪っていた。唯一、科学者たちは必死の研究を続けたが、どのみち氷河期の到来を阻止することは出来なかった。
「ママ、ママ、今日のおやつはなあに」
「かき氷よ。すきなソースでお食べ」
「嫌だぁぁぁぁ僕かき氷は嫌だよぉぉお汁粉が食べたいよぉぉぉ」
「我慢しなさい、小豆はとても貴重なの。次に配給で回ってくるのは五年後よ」
人々は防寒機能だけ完璧な集合住宅の中で暮らしていた。食料は配給制で、赤道付近の地下深くにある栽培所や工場でロボットによって育てられた野菜や肉やその加工食品は配給制で各家庭に配られる。おおよそ氷河期が到来する前に存在していた全ての種類の食物を生産することができたが、量は限られており、主食は必要とされる栄養素を含んだだけの合成穀物バーだった。そして、小さい子供のいる家庭には、色のついた砂糖シロップが支給された。
「私もこうして、おやつがかき氷と聞くとよく泣いたものだわ。たまに出てくるお汁粉やドーナツが、どんなに嬉しかったことか。私だって、毎日違うおやつを出してあげたいわ。そうだ、あのうなぎの蒲焼きというお菓子は、たかし君まだ食べたことなかったわね」
「うなぎの蒲焼き?」
「そう。うなぎというのはお魚の種類よ。といっても、「うなぎの蒲焼き」にはうなぎは使われていないんだけどね」
「何それ、変なの。でも、食べてみたいなあ」
「半年後に選択支給よ。マシュマロとうなぎの蒲焼き、どちらが良い?」
「マシュマロを浮かべたココアが飲みたい」
たかしは目をキラキラと輝かせた。
ママはそっと首を振る。
「カカオパウダーの配給はずうっと先よ」
毎日、同じことの繰り返しだった。同じ味の穀物バーに、申し訳程度の味付けをして、少しのおかずと共に腹に入れる。家から出ることはなく、子供はVRで教育を受ける。家族全員でVR遊園地やVR映画に行くこともできる。
VRがあれば、何でもできた。しかし、何も出来ないのと同じだった。人々はただ、生きるためだけに生きている。


という夢を見た。