おじいちゃんの話
「ご先祖様が帰って来る時は、早く来てほしいから馬に乗ってもらう。帰る時は名残惜しいので牛に乗ってゆっくり帰るんだよ」
それを教えてくれたおじいちゃんが馬に乗って帰って来る人になって2回目のお盆を迎えた。馬と牛を作るのはおじいちゃんの仕事だったが、いつからか従姉がやるようになり、私がやるようになり、今年は弟が作った。おじいちゃん抜きで行う年中行事を重ね、私達は、少しずつおじいちゃんのいない日々を受け入れていく。
いい歳して他所様の見るところで「おじいちゃん」なんて幼稚だろうか。祖父と書くといかにも一族の長という感じがして困る。おじいちゃんはそんなのじゃないのだ。おじいちゃんは確かに定年まで教師として勤め上げ、親族を束ね、結婚式のスピーチや仲人を任されるような人だったけども、私にとってはそういうことは些末な問題なのだ。具体的にどんな人かを書くと長くなるので割愛する。
イメージを損なわないためここではおじいちゃんと書いてしまう。
お盆なのでおじいちゃんが亡くなってからの話を備忘録がてら書いておく。オカルト、スピリチュアル要素が入るが勘弁してほしい。
・おじいちゃんが亡くなった報せを受け、叔父、叔母、従姉、弟と共に叔父の車で青森に向かった日
20時頃に連絡を受け、すぐ叔父の家のある浦和に移動し、浦和ICから東北道を飛ばして青森へ。皆眠れず、おじいちゃんのことなど話しながら向かう。6月だったがSAで休憩するごとに薄い氷のベールがかかるように寒くなっていく。疲れからか明け方に少し眠る。おじいちゃんの夢を見た。
夢の中でおじいちゃんが安置されている家の和室にいた。おじいちゃんの頰に触れると「痛いよ」と言われた。怖いとも思わず、「ごめん」と謝るとおじいちゃんはいつものように目を細めて笑って「嘘だよ」と言って、それきり喋らなかった。
目が覚めるとちょうど青森中央ICを降りるところだった。
・おじいちゃんが亡くなって少ししてから
また夢を見る。おじいちゃんの家にいると、死んだおじいちゃんが帰ってきている。おじいちゃんは亡くなったことに気付いていないようなので、どうにか気付かせないようにしようと思う。ウイスキーはどこだと聞かれる。
・2017年冬、おばあちゃんの体験
寝ていると壁を叩く音がする。「お父さん、入れないんだよ」と声をかけると音がやむ
・おばあちゃんの夢
石がたくさん積み上がっている河原をおじいちゃんが車を運転している。おばあちゃんは「お父さんそこ行けないから待ってて」と声をかけるが、おじいちゃんはそのまま車を走らせて川を渡って行ってしまう
・2018/8/11夜
母と一関に泊まり、近所の居酒屋で夕食にする。穴子が信じられないくらいうまい。フワフワでおいしい。おじいちゃんは穴子が好きだった。おじいちゃんを連れてきたかったねと話しながら食べた。店を出ると、花火もやっていないし仏具屋があるわけでもないのに線香の匂いがした。母と顔を見合わせたが、怖いとは思わなかった。
・2018/8/13夜の私
布団で母とおじいちゃんの話をしてしばらくすると壁をコンコンと叩く音がした。おじいちゃんではないかと思ったし、或いは(仮に霊が実在するなら)お盆に乗じて来ているそこらへんの霊ではないかとも思った。そこらへんの霊に「おじいちゃん待ってたよ、早くこっち帰って来て」なんて言いたくないし、仮におじいちゃんだったとしてもそんなことを言っていいのかも分からなかった。おじいちゃんはもうこちらの人ではないのだからやはり帰ってきたとしても私たちと同じ場所にはいないのだ。迷っているうちにどうでも良くなりおじいちゃんとの思い出を振り返っていた。振り返っているうちに寝た。
・生前のおじいちゃん
おじいちゃんの末妹が来た。話を聞いていると生前は週に一回くらいおじいちゃんの様子を見に行っていたらしい。施設の職員の中にも当たり外れがあり、目の前でこの人は認知が入っていると言ったり差し入れのお菓子や野菜を残らず取り上げてしまったりする人もいた。末妹が「兄さんよく怒らないでいられるね」と言うと「あんなどこの高校で出たか分からないやつと言い争ってもしょうがない」と穏やかに返したという。おじいちゃんは今も昔も県下トップである高校の出身だ。卒業生は期が違っても強い繋がりを感じており、現に同じく卒業生であるおじいちゃんの病院の院長はおじいちゃんにだけ巡回で挨拶に行き苗字でなく「先輩」と呼んだという。選民意識とまではいかないまでも誇りとプライドを垣間見て少し可笑しかったし、その誇りとプライドに裏打ちされた寛容さ、余裕は見習いたいものだと思った。
この後に及んで「おじいちゃんの死がまだ受け入れられない」なんて言うつもりはないけれど遺影を見ると不思議に思うことがある。この記事は仏間でおじいちゃんの遺影を見ながら書いているが、リビングに戻ってもおじいちゃんがいないというのは不思議なことだ。明後日になればおじいちゃんはまた帰ってしまう。しかし帰ってもらわなければいけないのだなとも思う。難しい。おじいちゃんのことを知るにつけ、惜しい人を亡くしたというのはこういう時のためにある言葉なのだと実感する。
夏の短歌祭
夢のなかの猫
昨晩「明日は1限テストだから絶対に起きなきゃ」と思いながら寝たせいだろうか、今朝は変な時間に目が覚めた。3時。
夢を見ていた。
自宅(実際の自宅)にいた。オートロックのマンションの6階にもかかわらず、家の廊下に見知らぬ猫がいた。白と黒のハチワレで黄色い目をした愛らしい猫だった。少し大きい。温かくてふわふわしていて、妙に人懐こい。私の脚に体を擦り付けて甘えてくる。
あまりに人懐こいので抱いて写真を撮った。しかし、撮った写真を見てみると、猫の顔が全然違う。写真に写っているのは確かに黄色の目をした白黒のハチワレだが、表情がまるで違う。眉間に変な影があるし、目つきはずっと鋭い。牙も出ていただろうか、とにかく恐ろしかった。
写真に写った猫が恐ろしかったのもそうだし、自分の目で見ると相変わらず猫が愛らしいのも恐ろしかった。私が猫に感じている恐怖を猫も分かっているだろうに素知らぬ顔で甘えてくるのも恐ろしかった。
急いで猫を振り払ってリビングに入り、ドアを閉める。母がいたので「ママ、猫がいる、怖い。写真で見るとほら、全然顔が違う」のようなことを訴えた。母は私の恐怖を理解し、母の昔の友人に会わせてくれるというのでついて行く。女子短大から女子大に編入したはずなのに大学時代の友人を名乗ってやってくるのは半分くらい男だ。どんどん増えていって名前が覚えられない。そうこうしているうちにはぐれてしまい、見知らぬ暗い街で一人きりになる。ずいぶん薄汚く寂れた暗い街だったが、あれは日比谷界隈に似ていた気がする。
目が覚めると真っ暗だった。時計を見ると3時だったので当たり前だ。足元にさっきの猫がいるような気がした。開けっ放しの窓から外を歩く人の声や音が聞こえる。猫は部屋のどこかを歩いていた。
※幸運なことに、そのあと二度寝してちゃんと6時に起きられた
真夏の夜、図書館で君と歩く地下。
フッと息の音がして、部屋がまた暗くなる。
「前川くんの怖い話、なかなか面白かったですよ。じゃあ、次は私ですね」
蝋燭の光にぼんやりと照らされる教授の顔は、明るい教室の中で見るものとは少し雰囲気が違ってどきりとした。美人だからだろうか、なんだか不気味な感じがする。元々暗いのは苦手なのだ。私は誰にも気付かれないように身震いした。
「これは私がここの院生だった頃の話です。」
そもそもどうして部屋の中に蝋燭が並んでいるのか。これは図書館情報学専攻のゼミ合宿ではなかったのか。
事の発端は今となっては曖昧だが、ゼミ生と教授を交えて百物語をすることになってしまった。と言っても百回繰り返すのは難しいので、ゼミ生7人と先生が話し終わったらおしまい。八物語だ。丸くなってから図書館情報学専攻お得意のExcelくじ引きで最初の人を決めて、時計回り。先生の次が私で、私が最後だった。
怖い話はあまり気が進まない。できれば先生が話し疲れて終わりにしてくれればいいのにと思った。
「図書館旧館、新館とあるのでお分かりかと思いますが、私のいた頃は今の新館はありませんでした。そんなに昔の話ではないんですよ。そこ、笑わないで。
こんな夏の暑い日で、私は博論が大詰めを迎えていたので大学に泊まり込んでいました。研究室の椅子で仮眠しては論文を書いて、資料を整理しているうちに、私は昼間読んでスルーした論文がやはり欲しいと思いました。それで先程言った図書館――今で言うところの旧館――へ行ったのです。
今と違って警備員さんにひと声かければどこへだって行けたんですよ。しかも、まあ私はそれなりに優秀な院生だったので。それで旧館へ入ってみると真っ暗で、初めて入る時間外の旧館にはそれなりに戦きました。でもまあ驚いていてもしょうがないので論文のある地下へ降りていったんです。
消灯後で非常口の灯りしかなく、手に持った懐中電灯で照らされる1m先より遠くは見えませんでした。でも図書館は構造化されてるので、どこに何があるのかくらいは何となく分かるじゃないですか。それでどんどん奥へ行って、目当ての論文をゲットしました。」
哲也が隣で「こんなの先生の個人的体験だよね」と呟いたので笑ってしまった。笑うと息で蝋燭がユラユラ揺れて部屋中に光が広がった。先生の顔はよく見えない。まるで闇に包まれた旧館地下のように。
「帰る時は来た時と逆の道を行けばいいわけです。見知った図書館ですからどんどん歩いて行きました。皆さんは旧館は分からないでしょうけど私にとっては旧館こそが皆さんの言うところの「メディア」だったわけですから。
でもいくら歩いても階段が見当たりませんでした。倫理学のエリアのすぐ近くに階段があったはずなのに、その倫理学のエリアが見つからない。完全に迷ったと思いました。歩いて、歩いて、曲がってみたり走ってみたりして、それでも見つからない。自分がどこにいるのかも分からない。気付いたら非常灯も見えないような場所にいて、懐中電灯で照らされる先はただの書架でした。その先も書架。それでも懐中電灯が命綱だったわけですが、ずっと使っていたせいかその頼みの綱の光すらだんだん弱まっているような気がしました。いえ、今から思えば闇が濃くなっていたんですね。
私にしてはあり得ないことですが、恐怖で立ちすくみました。完全に呑まれていました。
その時です。夫に声をかけられたのは。
夫――当時は彼氏でもなんでもありませんでしたが――は院の先輩で研究所でもよく顔を合わせました。顔見知りといったところです。その時私はなぜ夫がそこにいたのかということよりも、知り合いを見つけて安心したことの方が大きかった。
「麻理さん、こんな所でどうしたんですか」
迷ったと素直に答えると、ここは一階段の裏側だと彼は言って、手を引いて案内してくれました。陽の当たらない地下にずっと居たせいか私の手は冷え切っていたけど、彼の手はもっと冷たかった。それでも安堵と敬愛で彼の手の触れる場所がじんじん熱かった。
階段を昇って図書館の入口が見えた時、私はあろうことか少し残念に思いました。たった二人きりで誰もいない図書館を歩くのがなんだか特別なことのように思えて、でも外に出たらそれが終わってしまう気がした。それでもずっと図書館にいるわけにもいきませんから。
まさに入口の扉を開けて外に出ようという時、夫が私の手を離しました。
「あれ、僕忘れ物したこと思い出しました。取ってからまた行くので、またあとで」
「すみません、私の案内してもらったばかりに。研究室で待ってます」
私は素直にそう答えてまた闇の中に消えていく夫を見送りました。そういえば夫は懐中電灯を持っていなかったのに、どうやって歩くんだろうとその時思いました。
扉を開けて外に出ると凄まじく湿った熱い空気と主張の強いコオロギの合唱が襲ってきました。そこで初めて私は図書館の中がとても寒くて静かだったことに気付きました。それはもう不自然なくらいに。
そこで、もう一つとても不自然なことに気付いたのです。夫は昨日、仙台で行われる学会へ行ったばかりでした。今ここにいるはずがないのです。
それまで怖いとも思わなかった図書館が急に怖くなって、私は後ろも振り返らずに走って研究室へ帰りました。その夜は一睡も出来ませんでしたが、もちろん夫が来ることはあませんでした。
あれは誰だったのか、あるいは何だったのか、今でも考えることがあります。あれ以来消灯後の図書館には行かなくなりました。これで私の話はお終いです。」
フッと息の音がして蝋燭が消え、部屋の中を照らす光源は私の目の前のか細い蝋燭ただ一つになった。私だけが光に照らされて周りの人の顔は闇に溶けている。百物語で怖いのは怖い話よりもこの瞬間かもしれない。何より、最後の人が話し終わった時には――
不意にドアがガチャリと開いて廊下の光が一気に流れ込んだ。蝋燭は風に煽られ、役目は果たしたと言わんばかりに消える。
「まだ起きてたんですか。いい加減に寝てください。明日の論文指導を子守唄にするつもりはありません」
若干呆れ気味の安形先生を前に私達は動くことも出来ずにいた。安形先生は外から入ってきた。しかし、それなら、さっきの話をしていたのは一体誰だったのか。
「せ、んせい」
喉から出た声が掠れている。顔に集まる視線から周りの皆が私と同じことを考えていると分かった。
「あの、今まで私達と一緒にいましたよね?」
「いいえ」
安形先生は不思議そうな顔をした。小首を傾げる。いつもならそれを可愛いと言って騒いでいたが、今はじわじわと迫る恐怖でそれどころではない。
「私はさっきまで倉持先生と飲んでました。あと池山先生も。ここには来てませんよ。おかしなことを言ってないで早く寝てください」
百物語の一番怖いことは、周りがよく見えないことなのかもしれなかった。
世界 vs
遅ればせながら、今頃になって「よつばと!」を読んだ。中2の頃には既に知っていたのに今まで手を出さなかったのは、単純に生でお目にかかる機会がなかったのと、日常系マンガと聞いて現実味のない女の子達がフワフワ遊んでいるだけの萌え漫画だと思い込んでいたからだ。そんな自分は馬鹿そのもの、馬鹿の象徴だったと言って差し支えない。
よつばと!は端的に言って素晴らしい漫画である。
小岩井よつばという珍しい髪型をした女の子を通して描かれる世界はリアリティに満ち溢れている。子どもの目線だとか、感覚だとか、行動だとか、そういうものが本当に丁寧に描かれている。
風香にコーヒーを持っていこうとしている時に、ジュラルミンに気を取られて溢す、とか
高速道路のチケットを取ろうとした時にやんだに脅かされてビビる、とか
牧場に行く前の日にはしゃぎすぎて当日熱を出す、とか
そういう子どもの生態みたいなものが本当にリアルなのだ。
あと背景も素晴らしい。家の中もさることながら、街の風景が写実的で、それがよつばと!の奇妙なまでのリアリティを増している。街ではないけど気球のシーンなんかは気球のスケールがよつばとの対比もあって本当に大きく感じられてよかった。
よつばと!では時間の流れが明確である。少しずつ季節が巡っている。よつばは春になるまでに誕生日を迎え、春になれば小学校に入学する。
果たしてよつばは小学校に入学するんだろうか。
成長していくんだろうか。
よつばの天真爛漫さやよつばの世界の新鮮さはよつばが幼いからこそあるものだ。21歳の女が「こいわいよつば、21さいです」と両手足の指を見せてきたらそれは恐怖を感じるものがある。
よつばと!はよつばの成長とともにその雰囲気をガラリと変えてしまうのだ。実際はそうなる前に最終回を迎えてしまうのだろうけど。
今一番怖いものは就活よりもよつばと!最終回である。就活で人は死なないが、よつばと!最終回は人が死ぬ。
拾われっ子のよつばの誕生日が何を意味するのか。
誕生日は「生まれてきて、今ここにいてくれてありがとう」の日なので、本当は母体の子宮から出た日じゃなくてもいい。小岩井よつばになった日、つまりは戸籍に入った日でもいいし、とーちゃんと出会った日でもいい。
作中ではよつばが拾われっ子であることを意識させる描写はないものの、よつばの誕生日という回は作中で一つの重要な回になるんではないだろうか。
拾われっ子というと連想するのは高倉陽毬、そして京騒戯画の明恵(薬師丸)だ。
「(明恵上人/稲荷)が血まみれで帰ってきたと思ったら生きているのか死んでいるのかわからない子供(薬師丸)を連れていて「拾った」と言ったのよ」という古都の台詞があったと思う。南の島でよつばを拾ってきたとーちゃんの姿が何故か血まみれの明恵上人と重なった。
すやすやと全てを知らずに平和に眠るよつばを抱いて血まみれの葉介が一言「拾った」と言うシーン
…は、たぶん今後も描かれることはないけど、今やパンツマンとなった小岩井葉介の過去には気になるものがある。あと、ジャンボとやんだとの関係とか。やんだが後輩でジャンボと共通の知り合いならやんだ、葉介、ジャンボが同じ高校あるいは大学だったのか、とか。ジャンボの実家は街中の花屋だけど葉介の実家は離れた場所にあるから、葉介は大学に合わせて出てきたのかな?とか。共通の知り合いであるジャンボ、やんだ、とーちゃんの中でよつばがやんだだけを作品開始以前に知らなかったのは何故か、とか。
やんだとよつばの初対面の場面を思い出すとよつばが拾われっ子であることが入念に描写されていることがわかる。「あー…お父さん?はいる?」
やんだはとーちゃんが南の島で子供を拾ったことは知っていてもその子供に自分をなんと呼ばせているのかは知らなかったんだろうなあ。
よつばが一人で寝られるようになったら、とーちゃんが泣く前に私が泣く。
あー、よつばと!300巻くらい続かないかなぁ。
晴天
5月11日、晴れ。最高気温21℃、最低気温14℃。dazzlinのノースリーブのサックスブルーのスカート、トランテアンソンデュモードのレモンイエローのカーディガン。下着はキャミソール、脚はストッキングでちょうど良い。
数日続いた雨が上がって晴れている。就活が本格的に近づいているのを感じて辛い。痩せたいのに甘いものへの欲求が断ち切れず辛い。毎日丁寧に生きたい。小松菜と厚揚げと大根のお味噌汁を飲みたいし、焼き鳥を食べたい。抹茶スイーツを飽きるまで食べたいけど、痩せたい。
発表会が終わった。中学生〜大学生のずっと続けている子達の踊りを見ると身が引き締まる。大人になってから始めた人の中で成長を喜んでいるのは駄目だ。たとえ届かなくても比較対象は専科クラスの子であるべきだ。もっと自分に厳しくありたい。
父方の祖母と父は発表会を見に来たものの私の顔も見ずにさっさと帰ったので白けまくった。そういう所だよ、君達。私以上に母が怒っていた。私は時間差で頭に来ている。手土産がないのは構わないとして今に至るまで感想の一つも寄越さない人は次があっても呼びません。父の感想はなんか雑だしほんと嫌。義理で来てくれてるんだかなんだか知らないけどスタジオの他の人に申し訳が立たないわ。DVDも見せません。写真は実費払ってください。受け取った心遣いしか返せないのでこれ以上はできません。余裕がないもので。
一事が万事生まれた時からこうなので(ちょっと雑にまとめすぎだけど詳しく書きたくない)自立して収入を持っても恩返しする相手が母と母方親族しかいないのでめっちゃ楽だぞ!と思うことにしている。というか私をこの世に生み出した責任として住居と一定の食事を保証してくれる人と考えれば腹も立たないので向こうも中途半端に構ってくるのはやめてほしい。
GWは青森に帰省。片道800kmは嘘だろ?って感じだけど新幹線代+レンタカー代と高速代+ガソリン代を比べたらこれは高速道路を選ぶのは自明である。というのが半分で残り半分はママの走り屋魂を慰め私が高速道路の練習をするためだった。あと私は新幹線でも酔うけどママの運転だと酔わない。
祖父の一周忌だった。親戚一同集まって近況報告や世間話をして笑っておいしい懐石を食べていたのにお持たせの熨斗が薄墨で書いてあってはっとさせられた。おじいちゃんが生きててくれれば懐石や高級なお菓子なんてなに一ついらなかったし畑の隅で採りたてのトマトを洗って食べてるのが一番幸せなのだ。採りたてのトマトはぬるくて味が濃いということを知っている人が一体どれだけいるか?
おばあちゃんが従兄を引き合いに出して国家公務員をゴリ押ししてくるのが不快で不快でしょうがなかった。次に帰省するときには話題の中心にならないようにしたい。というかきっぱり拒絶したらだめなんだろうか。だめなんだろうなあ。おじいちゃんのために帰省はしなきゃいけない。それは別に、いいんだけどね。お金を出して愛してくれるってだけじゃ我慢できないことって意外とある。おばあちゃんだからまだ耐えられるけど、あれが母親だったら絶対にグレるか発狂するかしてると言ったら母は笑っていた。喧嘩してクソババアと叫んだこともあるらしい。気持ちはわかる。これ以上ないくらい大切にされているのは分かっているけど、それでも、愛が重圧になることがあるのだ。これは許してほしい。どうして一人で誰に向けるでもなく謝り続けなければいけないんだろう。
おじいちゃんは私の成人式前撮り写真は見てくれたけど成人してから初めて会った時には酸素マスクに繋がれていたし亡くなった時に私の運転免許証は影も形もなかった。私はどんどん大人になっていくのにおじいちゃんはうんともすんとも言わないまま額縁の向こうで笑ったままである。私の運転で迎えに行ったらどんな顔をしたんだろう?もうすぐおじいちゃんが亡くなって一年が経つ。
ちなみにおじいちゃんは若い頃無免許運転だった。60年も前なのでよくあることだったらしいが、まあ、どちらにせよ時効でしょう。酸素マスクに繋がれて初めて白状したのでママも知らなかったというのだから驚く。免許を取ってからはクラウンに乗っていてよく130km/hとか出して青森から埼玉まで車を走らせていたとか。そして母はあわや免停すれすれの所までスピード違反したスピードスターである。果たして走り屋という性質は遺伝するのだろうか。
もち肌どら焼き「江戸ビューティー」のすゝめ
私はあんこが大好きだ。粒あん、こしあん、白あん、黄身あん、桜あん、芋あん、栗あん、……どんなあんこも好きだ。粒あんこしあん論争なんてナンセンス。そんなつまらないことに気を取られている連中の手元のあんこをかっさらい、注射針で自分の脳天に注入したいくらい好きだ。私が点滴を打たれることがあったら、まず第一にあんこを点滴してほしい。私が生コン詰めにされることになったら、コンクリートではなくあんこを詰めてほしい。私を殴る時はあんこの塊で殴ってほしい。私を暗殺したくなったら寝ている私の口にあんこを詰めてほしい。
あんこを発明した人間がなぜノーベル平和賞を受賞していないのか甚だ疑問である。あんこは世界で一番すばらしい甘味と言って過言でない。神は一日目になんとやら、みたいな一説があるが、私に言わせれば神が一番最初に作ったのは小豆であり、二日目にそれを煮る鍋を、そして砂糖を作ったに違いないのだ。なぜならあんこは世界で一番すばらしいのだから。
そんなわけで私は和菓子が好きだ。特に好きなのは大福。もちもちの大福と中に詰まったあんのハーモニーときたら私にとっては核爆弾並みの威力がある。饅頭も好きだ。ふかふかのまんじゅうは唇に触れるだけで最高級の羽毛布団を思い起こさせる。饅頭布団の上で寝ることができたらどんなに幸せだろう。一晩中饅頭を食べ続け、朝が来る頃には胃が破裂して永遠の安らかな眠りについていること間違いなしだ。あと、大福に含まれるのか知らないが桜餅、柏餅、草餅、鶯餅、ずんだ餅なんかも好きだ。もちろんおはぎも好きだ。八つ橋も好き。秋田銘菓の金萬なんかも好きだ。あとは、青森県浅虫のローカルお菓子である久慈良餅。くじら餅を知らない人は人生を半分損しているとは言わないが、くじら餅という幸せを知れば人生の幸せが2倍くらいになると思う。口の中で砕けるくるみの香ばしさといったらこの世のものとは思えず、千葉にいながら浅虫の荒海にさらわれて昇天してしまうかと思うほど幸せになる。もちろん千葉に住んでいれば浅虫よりも東京湾からの津波と東京湾沿岸埋め立て地域の液状化現象の方が怖いのは言うまでもないことである。
そして、何よりも外せないのが、どら焼きである。
どら焼き。すばらしい。まず名前がすばらしい。銅鑼。口に含むと脳天を銅鑼で殴られたような幸福感が身体中を電撃のように突き抜けることからその名前がつけられたと言われているのはあまり知られていない。原材料は小麦、卵、砂糖、牛乳、あんこ、などなど。白玉粉や餅粉を使うともっちりした触感になるほか、ハチミツやニッキ、抹茶などを生地に練り込むもよし。あんこに栗や餅が入っているものはまた格別である。先日生八つ橋の挟まったどら焼きを食べたが、あれはけしからん。言語道断の行いである。この世のものとは思えないほどおいしく、あやうく2個目3個目と手を伸ばしてしまうところだった。
そんな私が東京駅をぶらぶら歩いていると、見慣れない店を見つけた。ふらふらと近寄っていくとどら焼きの店だった。すばらしい。試食させてもらうとどら焼きの生地がもう今までに食べたどんなどら焼きよりもふかふかのもちもちなんである。なんとハチミツとニッキだか黒糖だかを練り込んでいるんだとか(おいしすぎて正直よく覚えていない)。4月15日までの期間限定販売ということでいてもたってもいられず抹茶どら焼き3個入りを買った。3個で800円くらいした気がするが舞い上がっていたので正直よく覚えていない。1個いくらだ。おいしさを考えると実質1個マイナス300円くらいか。
早速抹茶どら焼きを食べてみる(これを食べるために朝ごはんのパンを抜いた)。まず感じるのは生地のもっちりした感触。正確に表現するなら「もっっっちり」とでも言った方が適切なくらいのもっちり加減。そして、ふんわりと香る抹茶の香り。弱すぎず、しかし強すぎず、味もあり、ふんわりと香るいい具合の抹茶だ。そしてあんこ。あんこもすばらしかった。
以上を鑑みると日本に存在する数多くのどら焼きの中でも一、二を争うどら焼きだったことは明白だと思う。東十条の黒松のどら焼きもいいし、なんなら近所のスーパーに売ってるどら焼きも十分おいしいけどね。東京駅を通る人がもしこれを読んでいたらSouthCourtとかのそばにあるお菓子売り場(SouthCourtではない)にあるこのどら焼き買った方がいいです。マジで。あんこが憎くなければ買うべき。4月15日までです。あー毎食このどら焼き食べたいな。
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