苹果の話
「さて、今日はある恋のお話です。追えば逃げ、逃げれば追われる。あれ程上手くいっていたのに、ある日突然そっけない。逃げられた!さあ、君ならどうする?」
「私だったら、追いかけない」
「なぜ?」
「疲れちゃうし」
「確かに、そういうタイプの人もいるね。つまり君は逃げる役目しかやらないと宣言するわけだ」
「どういう意味?」
「両方が逃げるんだから、それはお互いが「私からは近づきませんよ」と相手に言うのと同じってことさ」
「つまり?」
「その恋は実らない」
「輪るピングドラム」第20話での実悧先生と陽毬の会話。非常に示唆的である。
この会話に10年近くずっと囚われているのかもしれない。キスと愛の話が続いている。
「それでいいよ。わたし、恋なんかしないもん。
例えばだけど、相手が逃げたら、私は追えばいいの?それで恋は実るの?」
「実る場合もある」
「そうかな。そういう相手は、逃げ続けて、絶対こっちには実りの果実を与えないんじゃないかな」
「鋭いね。そう、逃げるものは追うものに決して果実を与えない。そうすると、らくちんなゲームが終わるからね」
「ひどい」
「君は果実を手に入れたいわけだ。キスをするだけじゃ駄目なんだね」
「キスは無限じゃないんだよ。消費されちゃうんだよ。果実がないのにキスばかりしていると、私はからっぽになっちゃうよ」
「からっぽになったら駄目なのかい?」
「からっぽになったら、ぽいされるんだよ」
「ぽいされてもいいじゃないか。 百回のキスをやり返すんだよ」
「むりだよ。そうなっちゃったら、 心が凍りついて息もできなくなっちゃう」
「じゃあ心が凍りついて 息もできなくなるギリギリまでキスを繰り返せばいい」
「そんなの惨めだよ」
「惨めでもいいじゃないか。キスができるんだから。なにもしないで凍りついてもおもしろくないよ。だったらキスをして凍りつくほうが楽しいんじゃないかな」
「だったらどうすればいいの?」
「気持ちにまかせろってこと。 キスだけが果実じゃないかな」
キスと果実の話は長くなるので置いておくとして、わかりやすいのがこれですよね。
「両方が逃げるんだから、それはお互いが「私からは近づきませんよ」と相手に言うのと同じってことさ」
「つまり?」
「その恋は実らない」
追わなければ始まらないわけです。でも陽毬は果実を与えられないからいやだと言う。愛するという行為はそれが報われないリスクを常に伴っている。
それこそが愛の本質である。人を愛するとは、自分の箱という安全圏から手を出し、伸ばした手に乗せた林檎を受け取ってもらえないリスクを承知で、相手に林檎を届けようとすること、そして受け取ってもらうこと。それはなかなかできることではない。だから本当に人を愛せる人はなかなかいない。それこそが眞悧の言う「ひとは自分の箱から抜け出すことができない」ということ。