布団大好き!

日記や所感など

バレエと私

 

クラシックバレエを習い始めたのは小学校1年生の時のことだった。

バレエを習いたいと言った記憶はない。というかその頃の記憶自体が、おぼろげで断片的だ。家から通える範囲のバレエスタジオをいくつか見学していた記憶から私のバレエに関する記憶は始まる。一番最後に見学したスタジオは、一軒家の一階部分がスタジオで、白い壁にグリーンの屋根と赤い柱が映える、きれいなスタジオだった。生徒たちはお揃いの白いレオタード姿でレッスンを受けていた。

気付いた時には私はNバレエスタジオの生徒だった。

 

何か習い事を始めるのに、7歳という年齢が遅いと考えられることはそう多くない。しかし、ことバレエにおいては7歳というのは遅い方だった。たいていの子は3歳か4歳のうちに習い始める。7歳は手遅れというわけではないが、ギリギリの年齢だった。

そういうわけで私は同学年の皆を追いかける形でバレエをスタートした。スタートの遅れと生来の不器用さと勤勉さの欠如から優位性を発揮することはなかったが、まあまあ楽しくやっていたんじゃないかと思う。楽しいと思った記憶はないけれど、小学校のクラスメイト達に自分がバレエを習っていることを話していたのだからバレエをポジティブに捉えていたのだと思う。

はじめて出た発表会の演目は「ディズニー・ファンタジー」。私が踊ったのは「おおかみなんかこわくない」とエンディングの「イッツ・ア・スモールワールド」。同学年のもう片方のグループはビビディバビデブー(正式名称分からなくてごめん)、一緒に踊った一つ上の学年はケイシージュニアとプーさんだった。スキップして申し訳程度に何かポーズをとるだけのまあ小学校一年生なりの振付だったけれど、ステージでオレンジ色のライトにじりじりと照らされて、暗い客席から何百という視線が降り注ぐのを感じた時の緊張は今でも覚えているし、ダメだと言われたのに家族の姿を探して目を合わせてしまったことも覚えている。

2回目に出た発表会では2つの演目に出た。一つは先輩と踊るものでもう一つは後輩と踊るものだった。前者はディズニーの曲を使ったもので私の学年は人魚姫のカニの踊りだった。後輩と踊る演目はオリジナル作品で真夜中のおもちゃ箱というものだった。兵隊の踊りを踊った。

 

3回目の発表会を迎える頃からか、あるいは2回目の発表会が終わる頃からか、細かいことは忘れたがだいたい10歳前後くらいからバレエが嫌になり始めた。早い。早すぎる。まだ始めて3年だ。毎回レッスンの前に「行きたくないなあ」と思っていた記憶がある。これは今でもそうだけど。

そう感じるようになった原因は大きく分けて3点ある。

まず、同じクラスの子になじめなかった。私は地元の市立小学校ではなく電車とバスで40分くらいかかる国立の小学校に通っていたのでみんなの学校の話についていけなかったし、DSやたまごっちなどといった当時ほとんどの子が持っていたおもちゃを一切持っていなかった。今ならだからなんだという感じだけど共通の話題がなくてそれ以外の話題、たとえば趣味の話とか世間話みたいなもので盛り上がるような年齢ではなかった。親同士の交流はあったので一緒に遊ぶことはあったけどやはりクラスの子から疎外感を感じていて嫌だった。

次にいやだったのは全然バレエが上手くならないことだった。スタートの遅れを取り戻す器用さと勤勉さを持ち合わせていなかったのだ。前述の疎外感からあまりバレエにのめりこめなかったのもある。

バレエが上達しないこと以上に嫌だったのが母親から周りの子と比べられることだった。まあ事実上手くはなかったし、安くはないお月謝と送り迎えの手間をかけているのだから上手くなって目立つ振付をもらってほしかった母の気持ちは今ではよく分かる。

そういうわけで私の気持ちはだんだんとバレエから離れていった。けれど母親の期待を背負っていることを子供心に感じていたのでやめたいと言い出すのはもっと後になる。

 

3回目の発表会は現役時代で一番思い出深い回だった。演目は「不思議の国のアリス」と「水兵さんの一日」。

この発表会はしばらくの間私のトラウマだった。というのも、不思議の国のアリスで途中座る場面で座る方向を間違えたのだ。実際は私ではなく私の前の子が間違えていたのだがDVDをちゃんと見てそれに気づいたのは数年後のことだった。加えて水兵さんの一日でダブルピルエットの着地に失敗した(と思っていた。数年後にDVDで確認したら実際は少しずれた程度だった)。

存在しない失敗に数年間悩まされていたわけで、繊細なる少女の感性にはまったく痛み入るばかりだが、そうは言ってもこれは思い出深い発表会だった。特に3学年で作り上げたアリスの世界が本当に楽しかった。あれから今までのすべての発表会のDVDを見たけれど、小学生の演目として不思議の国のアリス以上にエンターテインメント性と芸術性の高い演目はなかったと思っている。

 

面白いことに発表会での失敗は私のバレエに対する気持ちを良い方にも悪い方にも変えなかった。

ただそれまで通り、どうにもならない行き詰まりを感じて、やめ時をずっと探していた。

 

「やめたい」と宣言した日のことは今でも覚えている。

何度も何度も、やめたいと言おうとして、母の悲しむ顔を思い浮かべて思いとどまり、レッスンで苦痛を感じてはやめたいと思い、思いとどまり、そういうことを何十回と繰り返して、その日とうとう言葉が音になって口から出てしまった。水曜日のレッスン帰り、駐車場に車を入れてから暗くなった中庭を抜けていた。バラのゲートを抜けたところだった。

受験勉強に集中したいと母には言った。今でも訂正していないけれど、嘘だった。受験なんてどうでも良かった。ただバレエから逃げたかった。その一方で、バレエをやめることを惜しいと、もう戻らないであろうことを悲しく思っている自分もいた。

 

やめる日に先生と撮った写真(記憶にない)が先日リビングの棚の奥から発見された。あの日「受験が終わったらまた戻ってきてね」と言われて「受験でやめるわけじゃないから戻ってこない」と思いながら「はい」と嘘をついたことを覚えている。

 

続く。