幸福の定義

 

 

幸福の定義を自分の内側に持っている人が好きだ。

つまり自分の世界を持っている人。


他人の指標だけを追い求めていてもいつまでも幸せにはなれない。そういう人は一生、他人から見た幸せを達成することしか考えられず、本当の意味で自分に対して心の底から満足することはない。自分で自分を満足させることが出来ない。

マイペースで自己主張が強いと言われがちなわたしは、意外なことに、他人指標の幸せをずっと追い求めてきたタイプだ。周りと較べてこのレベルにいよう、とか、世間的にこうだからこうなろう、とか。常に遠ざかるゴールに向かって走り続けることしかできなかった。

私生活においても何をするにもするべきかするべきでないかが指標で何ひとつとして自分の意思がなかった。何が好きかと聞かれても答えられなかったし何してる時幸せと聞かれてもよくわからなかった。

ストイックなのは目標があるからじゃない。目標がないから、走り続けることで逃げている。限界まで自分を追い込むことで言い訳をしている。限界まで頑張っている人のことを責める人はいない、そう自分自身でさえもね。

前を見ずに走っていてもどこへもたどり着けないことが分かりきっていた。このまま走り続けたら空っぽのまま死ぬのかなと思っていたし、今でも自分がどうすれば幸せになるのかわからない。この1ヶ月、会う人会う人にその人の幸せの定義を聞いてきた。考えて考えて考え続けて、幸せの定義にはまだ至ってないけれど、脱・つまらんサイコパスの小さな一歩として私は好きなものを見つけた。

バレエ。

私はバレエが好きだ。

今、バレエが好きで、バレエを一生懸命にやっていて楽しい。バレエを練習している自分が好き。

その自覚があるだけで充実している。

 

 

 

以下は周りの人の幸福の定義のメモ

 


・Mさん

日記をつけて楽しかったことと楽しくなかったことを見たら「好きな人と好きなことを好きな時にできる」ことが幸せであることに気づいたのでその状態を達成するために今頑張る。好きな人を見つけてその人の幸せをトレースする

感想:激わかる。幸福の定義を考えざるを得ない点で同じ種類の人間だし幸福の定義は違っても最終的に好きな人の主観をトレースするという結論に至るあたり全く同じ人間である

 


・Sくん

自分がこのレベルになれば幸せかなという水準(たとえば年収)があってそれを達成するために必要な努力の程度が分かってるのでそんなに頑張らなくても焦らないでいられる。自分の幸せの基準を自分の主観で決めている。まあこんなもんかみたいな意識がある

感想:めちゃうらやましい。真似したいけど、無理

 


・Tさん

そこそこの人生を歩めればオッケーかなみたいな意識がある。めんどくさいかめんどくさくないかを評価基準にしている。中学の時サッカー強かったのに高校入って全然レベルが違ってレギュラーにもなれなかった挫折から自分は頑張らない側の人間だなと思った。怒られるのも怒るのも嫌いなので自分に対する期待値を意図的に下げてまあ達成できるかなという目標を達成して満足する。

ゴールまでの距離が常に一定であるrnxとTさんは本質的には同じである。それに満足しているかどうかが違う。自己肯定感の有無の差。

ここで私の目標が自己肯定感の獲得にシフトする。

 


・Kさん

幸せと感じられるかどうかは自分の選択に自信があるかどうか。自分で根拠を持って自分の選択をしていればどんなに他人の指標から外れていても自分は満足。

感想:最近自分が幸せな理由がわかった。バレエをしている自分の選択を信じられるようになったからだということ

 


色んな人の主観を追体験してわたしはわたしの世界を形作っている。わたしは物語を読むのが好きだったなとふと思い出した。人間こそが一番の物語だね。