布団大好き!

日記や所感など

自分が好きな人と自分のことを好きな人

「自分が好きな人に自分が好きな人と自分のことを好きな人どっちと付き合ったらいいって言う?」という質問箱にちょっと萌えてちょっと書いてみたって話。

 

 

「自分が好きな人と自分のことが好きな人どっちと付き合ったらいいんだろうね」

「は、?」

 突然話を振られて、間抜けのような声が出た。香奈美を見ると、彼女は指先をキーボードの上で休ませながら、ディスプレイ越しに俺を見ている。客のピークを過ぎた生協でテスト勉強を始めてから随分経っていた。気付けば周囲にん大勢いた人は疎らになっていて、隣ではさっきから賢太がソファに寝そべって背中を静かに上下させている。右側から射し込む西陽が香奈美の顔の四分の一だけをオレンジ色に照らしていて、熱そうだな、と思った。

「だから、」

「うん」

「どっちがいいのかって話」

 香奈美はゆっくりと目を伏せると、そのまま蛞蝓のように机に突っ伏した。柔らかそうな髪の毛がすぐ手を伸ばせば触れそうなくらい近くに来て、思わずどきりとする。三センチ。平常心でいるには近すぎて、触れるにはまだ遠すぎる、三センチ。厄介な距離だ。さっと手を伸ばして軽々と頭を撫でたりできたら良かったのに、俺はいつもこうしてタイミングを逃す。

「先輩にアプローチして拒まれるのがつらい」

 香奈美が突っ伏したまま呟く。

「つらいね」

「でも諦められない」

「そうだね」

「そろそろ私は満たされたい」

「みんな満たされたいと思いながら生きてるね」

 当たり障りのない言葉で会話を紡ぐ。耳触りだけやたらに良いような言葉だけでいくらでも時間を稼げる。俺はそうやって言葉遊びみたいなことをしながら蚊帳の外にいるふりをして、その実、往生際悪く視線だけはたった一人の女の子に釘付けになったままだ。

 勝ち目があるのかは、分からない。無いことはない、と思うけど、有る、とは言いきれない。無かった時に失うものが大きすぎて、だったら踏みとどまっていた方がいいと外堀を固めて一年。外堀は埋まったのに堀を渡れないでいる俺はテーブル一枚分の距離で情けなくも満足してしまっている。テーブル一枚分離れた場所から、先輩はやめておけよと虚しい抵抗の声を上げる。代替案は示さない。俺と香奈美の共通の知り合いであるところの先輩は多才な人で、先輩にも後輩にも慕われていて、華やかさでいったら絶対に俺は勝てない、と思う。

「自分が好きな人と、自分のことを好きな人、どっちと付き合ったらいいのかなあ」

「禅問答だな」

「シンプルな話だよ」

「やっぱり禅問答じゃん」

「きみならどちらを選ぶ?」

「そうだねえ」

 考えるふりをして自分のノートの画面を見つめた。「片思い 友達」とGoogle先生に聞いてみる。役に立ちそうな答えはない。ため息をついて「前者じゃないの」と答えた。

 俺はまたこうして、タイミングを逃す。

「きみがそう言うなら頑張ってみるよ」

 香奈美はもう勉強を続ける気はないようで、ノートを閉じて机の上の荷物をまとめ始めた。荷物を整理するのに身を捩ると、先程まで頬に当たっていた西陽が逸れて壁を照らす。

「帰る?」

 香奈美が立ち上がる。賢太が思い出したようにもぞもぞと身動きした。香奈美はちらりとそれを見て、すぐに視線を戻した。

「俺はもう少し勉強する」

「そう、頑張って。それじゃあね」

 香奈美を見送りながら俺はまたため息をついた。上手くいかない。今日も意気地無しで楽しそうなふりをして外堀の外で踊っているのか。堀の外で踊っている冴えない男のイメージにそう語りかける。傍から見ていると哀れなんだろうなと思う。こんな奴誰も見ていないけど。

 


 頭を抱える。死にたい、またやってしまった。

「バカだね~」

 賢太がだるそうに体を起こして笑った。

「やっぱり起きてたんだ」

「お陰様でちっとも寝られませんで」

「いい夢見てろよ」

「お前は現実を見ろ」

 現実。現実ってなんだ。外堀を埋めるだけ埋めて一歩も踏み出せない現実か。

 眉間に皺を寄せて黙っていると賢太がさもおかしそうにクツクツと笑うので腹が立って今朝方押し付けられたばかりのどこかの企業のチラシを投げつけたら軽々と受け止められる。

「香奈美ちゃんはお前に引き止めてほしかったんだろ」

「希望的観測はやめろよ」

「希望的観測なんかじゃないな、現実を見ろ」

「そんな現実はない」

 そうだ。そんな現実はない。俺は拒まれるのがつらい。失うものが怖い。諦められない。全てを失って奈落の底に突き落とされるくらいなら、満たされないまま踊っていた方が良い。

「あーあ、可哀想に。そしたら香奈美ちゃんは先輩の彼女になっちゃうね」

「別に俺は構わない」

「構うくせに」

 俺はそれには答えず開きかけのファイルを上書き保存して閉じた。もう勉強する気は起きなかった。鞄にノートを仕舞って立ち上がる。もう外が暗い。冬至を過ぎたとはいえまだ日が落ちるのが早い。

「逃げるのか」

「逃げるぞ。どうせ俺の人生は逃げの人生だ」

「気取っちゃって」

 無視して手を振って食堂を後にする。誰もいない。俺はどこで遅れてしまったのか。どこで間違えてしまったのか。外堀を埋める前にさっさと飛び込めばよかったのか。そうだったとしてもそんなことは出来ないけど。無駄じゃないけど結局は無為に過ごした一年を振り返って、一体どこで、とただ思う。

「あー、最悪だ」

 俺はいつもこうしてタイミングを逃す。