ぬるいトマト、ポテトの細切り

 

冬よりも寒い季節を知っている。

 

6月。一本の電話によって北国へ呼び戻される。最低限の荷物だけ持って高速に乗る。

蒸されるような日々を送っていたはずが、休憩を取るたびに外気が冷たくなっていく。仙台のあたりで叔父がエアコンのスイッチを切った。

青森中央ICを降りる直前、祖父の夢を見た。和室で祖父が冷たくなって寝ていた。覗き込んだ拍子に膝が頭に当たって、祖父が目を開ける。「痛い」「ごめん」

「いいんだよ」

実家*1の玄関を開ける。叔父が一番先に入る。私達はおずおずと後に続いた。奥の和室から低くくぐもった呻き声のようなものが聞こえ、叔父のものかと身構えた。祖母だった。

時に周囲を圧するほどに気丈な祖母が、蹲って呻くようにすすり泣いていた。

 

 

6月だというのにひどく寒かった。本当に冗談でなく、季節が違った。街が閑散としていたのもその寒々しさに拍車をかけた。もちろん一番は、私たちが一番の精神的支柱としていた祖父を永遠に失ったことだった。

おまけに雨まで降っていて、本当に身も心も寒かった。雨が降っていただけまだマシだった。これで暖かい天気だったりなんかしたら、私たちは自分の心の沈みをどこに持っていったらいいのか分からなかっただろう。そのくせ、葬式の日と出棺の瞬間だけは綺麗に晴れて、ただひたすら寂しかった。

つらかった。

 

今でも祖父に生きていてほしかったと思う。負担の大きい治療から解放されて、やっと楽になったね、と思うことでどうにか精神の平衡を保っているが、わがままを言うなら生きていてほしかった。聞いてほしかったことが沢山ある。

成績優秀その他もろもろの理由で奨学金を取ったこと。

運転免許を取ったこと。

バレエの発表会に出たこと。

祖母の着物を着てお茶会に出たこと。

夢を見つけ、実現への足掛かりを掴んだこと。

私の成長を心から喜んでくれた祖父に報いるために頑張っているのに、伝える手段がない。まだ感謝の気持ちを伝えきれていない。幼い頃の思い出の多くに祖父がいるというのに。これが最後だと分かっていた日に、それでも、また来るからねと言って病室を後にするしかなかった悲しさを、いつまでも消化できていない。ありがとう、さようならと言いたくて、言えなくて、それはこの先何度も起こることで、それでも受け入れられていない。

畑で採ったばかりのトマトが温かったこと。

マックのフライドポテトが食べたいと言ったらポテトの細切りを炒めてくれて、「絶対違う」と思いながら食べて、おいしかったこと。

ほうとう作ってくれたこと。

今にも崩壊しそうな大きくてふわっとしたおにぎり、とか。

 

おじいちゃん

 

冬よりも寒い季節、晴天の中、煙になってしまったおじいちゃん

 

 

*1 正確には母親の実家