運命について

輪るピングドラムでは第1話アバンで晶馬、Cパートで冠葉、第2話で荻野目苹果が運命について語っている。

 


晶馬「僕は運命という言葉が嫌いだ。生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸、不幸。それらが全てあらかじめ運命で決められているのだとしたら、僕たちは何のために生まれてきたのだろう。」第1話アバン

冠葉「おれは運命という言葉が嫌いだ。家族という繋がりなんてくそくらえ(意訳)」第1話C

苹果「私は運命って言葉が好き。無駄なことなんて何一つない、私は運命を信じてる」第2話

 


しかし陽毬の見解は語られない。陽毬のモノローグは第21話あたりまでは基本的にない。

陽毬が運命について言及するのは24話エンディング、乗り換え後の陽毬が失ったかもしれない誰かを思い、高倉兄弟に似た少年がかつて高倉家だった家の前を歩くシーン。

「私は運命って言葉が好き。信じてるよ、いつだって一人なんかじゃない」

これは乗り換え前の陽毬の言葉、あるいはもっと私好みに解釈するならば乗り換え前の陽毬から乗り換え後の陽毬へのメッセージ、あるいは願いのようなものだと思う。運命の輪が切り離され、陽毬と高倉兄弟の人生はおそらく交わらない。それでも、陽毬の心臓で燃えているのは、間違いなく高倉兄弟の愛なのだ。陽毬の生、額の傷、ぬいぐるみ、触れる世界のすべては高倉兄弟の愛の証なのだ。だからいつだって一人なんかじゃない、あなたの心臓には愛の記憶があるんだよと、乗り換え前の陽毬が言っているのではないかと思う。