先生と私

 

塾講師のバイトをしているので当然のように先生と呼ばれている。こっちとしては時給1000円ちょっとのバイト程度の責任感しか持ち合わせていないし、持ち合わせる筋合いもないが、自分のこれまでを振り返ってみると「先生」という存在には大きな影響を受けてきたなあと思う。

思い出深い先生の話を書いておく。名前はすべて仮名である。前にも書いたことのある人もいるかもしれないが、仮名の統一はしていない。

 

上野先生

10代前半の頃に受け持ってもらった先生。印象深い言葉は「あなたは自分では気づいていないだけで、実はクラスの雰囲気に大きな影響を与える重要な場所にいる」

当時は自分にそんな力があるとは思えなかったしなす術もなくクラスの雰囲気に飲み込まれ、流されていた。当時を振り返ってみても自分がクラスの雰囲気に大きな影響を与えることができたのかは正直分からない。白昼堂々教壇の上でリストカットなんてしたら確かに雰囲気は変わっただろうが、先生がおっしゃっていたのはそういうことではないだろう。

ただ不思議なことに今の自分にはそういう所があると思うのだ。決して常に目立つ場所にいるわけではないが、私の立ち回り一つでいくらでもコミュニティが変わるとは思っている。そういう立ち位置に意図せずして収まってしまう癖みたいなものがあるんだろうか。だとしたら上野先生の人を見る目には敬服だ。

この先生にあまり影響を受けたとは思わないけどとにかくお世話になったので思い出に残っている。

 

船橋先生

この人も10代前半の頃に出会った。なお現在に至るまで細々と交流が続いている。

船橋先生とは面白いことをたくさんした。あまりに面白いのでここには書きたくない。

印象に残っていることは二つ。角田光代の『対岸の彼女』を薦められたこと、「もっと人を信じなさい、信じる努力をしなさい」と言われたこと。

対岸の彼女』はまったく理解できなかった。最近になって先生にあの時薦められた対岸の彼女が理解できなかったですと言ったら、理解できるわけないと笑われた(なぜ薦めたんだ)。

もっと人を信じなさいという言葉は今でもたまに思い出す。どうすれば良かったのか正直分からない。私はそれなりに人を信じているしそれなりに信じていないところもある。それよりも私のどういう言動や価値観が先生にそう言わしめたのかを自覚することの方が大事な気がするが、よく覚えていないのでそれも叶わない。

 

山梨先生

山梨先生は面白い人だ。斜に構えたところが思春期真っ盛りの生徒にウケていた。私は山梨先生と山梨先生を好む人を傍から見て面白がるという更にたちの悪い生徒だった。

嫌いではなかった。そして山梨先生もまた私をそれなりに気に入ってよく構ってくれた。今でもたまに話すことがある。もしかすると嫌いではないどころか結構好きなのかもしれないが、結構好きだとはあまり言いたくないのが私の悪いところである。

あと構ってくれただけでなく勉強の面倒もよく見てくださった。最初に出会った時は「こいつもうダメだ」と思われていたらしいが受験前には絶対に大丈夫ですと太鼓判を押してくれた。ありがたい。結構好きだしマジでお世話になった。

 

市川先生

人格に与えた影響はさておき、私のライフコースに一番大きな影響を与えたのは市川先生だ。

私は市川先生に心酔して市川先生の出身校に進学した。当時の自分ははっきり言って思考停止したバカとしか言いようがないが、それなりにブランドのある学校なので結果オーライ(しかも私の専攻分野の草分けでもある)。

市川先生とは正直価値観が合わないが頭の回転が良いので話していて楽しい。傍から見ていても楽しいので、一人で二倍楽しめるすばらしい先生である。もちろん受験期に私の面倒を手厚く見てもらったことには感謝しかない。

 

葵先生

私がはじめてバレエを習った先生。ずっと葵先生のスタジオにいるので、手の付け方から首の入れ方まですべて葵先生メソッドである。私にとってバレエは葵先生から習うものなので、葵先生以外から習うものはバレエではない。

私にバレエという世界を与えてくれた神様みたいなものだと思っている。これは崇拝しているのではなくたんに世界を作った人という意味だ。

 

こうして振り返ってみると先生と呼ばれる以上あまり変な振舞いをするのも憚られる。私は生徒に大きな影響を与えるとは思わないし与えたいとも思わないが先生という存在は往々にして強い力を持つものなのだ。怖いなあ。