おじいちゃんの話


「ご先祖様が帰って来る時は、早く来てほしいから馬に乗ってもらう。帰る時は名残惜しいので牛に乗ってゆっくり帰るんだよ」

それを教えてくれたおじいちゃんが馬に乗って帰って来る人になって2回目のお盆を迎えた。馬と牛を作るのはおじいちゃんの仕事だったが、いつからか従姉がやるようになり、私がやるようになり、今年は弟が作った。おじいちゃん抜きで行う年中行事を重ね、私達は、少しずつおじいちゃんのいない日々を受け入れていく。


いい歳して他所様の見るところで「おじいちゃん」なんて幼稚だろうか。祖父と書くといかにも一族の長という感じがして困る。おじいちゃんはそんなのじゃないのだ。おじいちゃんは確かに定年まで教師として勤め上げ、親族を束ね、結婚式のスピーチや仲人を任されるような人だったけども、私にとってはそういうことは些末な問題なのだ。具体的にどんな人かを書くと長くなるので割愛する。

イメージを損なわないためここではおじいちゃんと書いてしまう。

お盆なのでおじいちゃんが亡くなってからの話を備忘録がてら書いておく。オカルト、スピリチュアル要素が入るが勘弁してほしい。


・おじいちゃんが亡くなった報せを受け、叔父、叔母、従姉、弟と共に叔父の車で青森に向かった日

20時頃に連絡を受け、すぐ叔父の家のある浦和に移動し、浦和ICから東北道を飛ばして青森へ。皆眠れず、おじいちゃんのことなど話しながら向かう。6月だったがSAで休憩するごとに薄い氷のベールがかかるように寒くなっていく。疲れからか明け方に少し眠る。おじいちゃんの夢を見た。

夢の中でおじいちゃんが安置されている家の和室にいた。おじいちゃんの頰に触れると「痛いよ」と言われた。怖いとも思わず、「ごめん」と謝るとおじいちゃんはいつものように目を細めて笑って「嘘だよ」と言って、それきり喋らなかった。

目が覚めるとちょうど青森中央ICを降りるところだった。


・おじいちゃんが亡くなって少ししてから

また夢を見る。おじいちゃんの家にいると、死んだおじいちゃんが帰ってきている。おじいちゃんは亡くなったことに気付いていないようなので、どうにか気付かせないようにしようと思う。ウイスキーはどこだと聞かれる。


・2017年冬、おばあちゃんの体験

寝ていると壁を叩く音がする。「お父さん、入れないんだよ」と声をかけると音がやむ


・おばあちゃんの夢

石がたくさん積み上がっている河原をおじいちゃんが車を運転している。おばあちゃんは「お父さんそこ行けないから待ってて」と声をかけるが、おじいちゃんはそのまま車を走らせて川を渡って行ってしまう


・2018/8/11夜

母と一関に泊まり、近所の居酒屋で夕食にする。穴子が信じられないくらいうまい。フワフワでおいしい。おじいちゃんは穴子が好きだった。おじいちゃんを連れてきたかったねと話しながら食べた。店を出ると、花火もやっていないし仏具屋があるわけでもないのに線香の匂いがした。母と顔を見合わせたが、怖いとは思わなかった。


・2018/8/13夜の私

布団で母とおじいちゃんの話をしてしばらくすると壁をコンコンと叩く音がした。おじいちゃんではないかと思ったし、或いは(仮に霊が実在するなら)お盆に乗じて来ているそこらへんの霊ではないかとも思った。そこらへんの霊に「おじいちゃん待ってたよ、早くこっち帰って来て」なんて言いたくないし、仮におじいちゃんだったとしてもそんなことを言っていいのかも分からなかった。おじいちゃんはもうこちらの人ではないのだからやはり帰ってきたとしても私たちと同じ場所にはいないのだ。迷っているうちにどうでも良くなりおじいちゃんとの思い出を振り返っていた。振り返っているうちに寝た。


・生前のおじいちゃん

おじいちゃんの末妹が来た。話を聞いていると生前は週に一回くらいおじいちゃんの様子を見に行っていたらしい。施設の職員の中にも当たり外れがあり、目の前でこの人は認知が入っていると言ったり差し入れのお菓子や野菜を残らず取り上げてしまったりする人もいた。末妹が「兄さんよく怒らないでいられるね」と言うと「あんなどこの高校で出たか分からないやつと言い争ってもしょうがない」と穏やかに返したという。おじいちゃんは今も昔も県下トップである高校の出身だ。卒業生は期が違っても強い繋がりを感じており、現に同じく卒業生であるおじいちゃんの病院の院長はおじいちゃんにだけ巡回で挨拶に行き苗字でなく「先輩」と呼んだという。選民意識とまではいかないまでも誇りとプライドを垣間見て少し可笑しかったし、その誇りとプライドに裏打ちされた寛容さ、余裕は見習いたいものだと思った。


この後に及んで「おじいちゃんの死がまだ受け入れられない」なんて言うつもりはないけれど遺影を見ると不思議に思うことがある。この記事は仏間でおじいちゃんの遺影を見ながら書いているが、リビングに戻ってもおじいちゃんがいないというのは不思議なことだ。明後日になればおじいちゃんはまた帰ってしまう。しかし帰ってもらわなければいけないのだなとも思う。難しい。おじいちゃんのことを知るにつけ、惜しい人を亡くしたというのはこういう時のためにある言葉なのだと実感する。