世界 vs


遅ればせながら、今頃になって「よつばと!」を読んだ。中2の頃には既に知っていたのに今まで手を出さなかったのは、単純に生でお目にかかる機会がなかったのと、日常系マンガと聞いて現実味のない女の子達がフワフワ遊んでいるだけの萌え漫画だと思い込んでいたからだ。そんな自分は馬鹿そのもの、馬鹿の象徴だったと言って差し支えない。


よつばと!は端的に言って素晴らしい漫画である。


小岩井よつばという珍しい髪型をした女の子を通して描かれる世界はリアリティに満ち溢れている。子どもの目線だとか、感覚だとか、行動だとか、そういうものが本当に丁寧に描かれている。

風香にコーヒーを持っていこうとしている時に、ジュラルミンに気を取られて溢す、とか

高速道路のチケットを取ろうとした時にやんだに脅かされてビビる、とか

牧場に行く前の日にはしゃぎすぎて当日熱を出す、とか

そういう子どもの生態みたいなものが本当にリアルなのだ。

あと背景も素晴らしい。家の中もさることながら、街の風景が写実的で、それがよつばと!の奇妙なまでのリアリティを増している。街ではないけど気球のシーンなんかは気球のスケールがよつばとの対比もあって本当に大きく感じられてよかった。


よつばと!では時間の流れが明確である。少しずつ季節が巡っている。よつばは春になるまでに誕生日を迎え、春になれば小学校に入学する。

果たしてよつばは小学校に入学するんだろうか。

成長していくんだろうか。

よつばの天真爛漫さやよつばの世界の新鮮さはよつばが幼いからこそあるものだ。21歳の女が「こいわいよつば、21さいです」と両手足の指を見せてきたらそれは恐怖を感じるものがある。

よつばと!はよつばの成長とともにその雰囲気をガラリと変えてしまうのだ。実際はそうなる前に最終回を迎えてしまうのだろうけど。

今一番怖いものは就活よりもよつばと!最終回である。就活で人は死なないが、よつばと!最終回は人が死ぬ。


拾われっ子のよつばの誕生日が何を意味するのか。

誕生日は「生まれてきて、今ここにいてくれてありがとう」の日なので、本当は母体の子宮から出た日じゃなくてもいい。小岩井よつばになった日、つまりは戸籍に入った日でもいいし、とーちゃんと出会った日でもいい。

作中ではよつばが拾われっ子であることを意識させる描写はないものの、よつばの誕生日という回は作中で一つの重要な回になるんではないだろうか。


拾われっ子というと連想するのは高倉陽毬、そして京騒戯画明恵(薬師丸)だ。

「(明恵上人/稲荷)が血まみれで帰ってきたと思ったら生きているのか死んでいるのかわからない子供(薬師丸)を連れていて「拾った」と言ったのよ」という古都の台詞があったと思う。南の島でよつばを拾ってきたとーちゃんの姿が何故か血まみれの明恵上人と重なった。

すやすやと全てを知らずに平和に眠るよつばを抱いて血まみれの葉介が一言「拾った」と言うシーン


…は、たぶん今後も描かれることはないけど、今やパンツマンとなった小岩井葉介の過去には気になるものがある。あと、ジャンボとやんだとの関係とか。やんだが後輩でジャンボと共通の知り合いならやんだ、葉介、ジャンボが同じ高校あるいは大学だったのか、とか。ジャンボの実家は街中の花屋だけど葉介の実家は離れた場所にあるから、葉介は大学に合わせて出てきたのかな?とか。共通の知り合いであるジャンボ、やんだ、とーちゃんの中でよつばがやんだだけを作品開始以前に知らなかったのは何故か、とか。


やんだとよつばの初対面の場面を思い出すとよつばが拾われっ子であることが入念に描写されていることがわかる。「あー…お父さん?はいる?」

やんだはとーちゃんが南の島で子供を拾ったことは知っていてもその子供に自分をなんと呼ばせているのかは知らなかったんだろうなあ。


よつばが一人で寝られるようになったら、とーちゃんが泣く前に私が泣く。


あー、よつばと!300巻くらい続かないかなぁ。