あの舞台の上

 

2月2日、おそらく雪。寒い。

 

このブログは彼氏に読まれている。隠していないので別にいい。

ちなみに彼氏に隠しているブログもある。半年くらい書いていないので、ほとんどないのと同じだと思う。私が覚えやすいIDにしていなければとっくの昔にネットの藻屑と化している。

私はマメなので自分の利用したSNSは使わなくなったらだいたいは責任を持って消している。消せないまま藻屑にしてしまったのはベネッセの運営するSNS、自分のサイト、高校生になってから2回目と3回目に作ったAmebaのアカウント、ピアプロ、昔のpixivアカウント、だ。ネットの海のごみを増やして本当に申し訳ないと思っているが、もはや私の努力でどうにかなりそうなのはAmebaピアプロくらいだと思う。自分のサイトは運が良ければ自動で消えているはずだ。

 

バレエは楽しい。

同じクラスの人の名前をだいたい覚えられてきたし、向こうもたまに私に話しかけてくれるようになった。身体もだいぶ動くようになってきた。あと、薫先生は最近、私を呼び捨てにしてくれる。

子どものクラスでは下の名前の呼び捨てが基本だ。だから子供の頃から続けている子はそのまま下の名前呼び捨てで呼ばれる。今の私のクラスは大人になってからスタジオに入った人が大半なので、その人たちは名字か名前のさん付けで呼ばれる。私以外にもう一人だけ子供の頃にスタジオにいた人がいるが、薫先生と同年代なので逆に当時の生徒同士の呼び名、名前ちゃん付で呼ばれている。

私は再開した当初は周りの人との間を取ってなのか、やはり10年ぶりの生徒を呼び捨てにできなかったのか、ちゃん付で呼ばれていた。悪くない。ドキドキした。ちなみに名字さん付けで呼ばれたらショックで立ち直れず、東京湾の藻屑と化していたと思う。最近は私が慣れたので昔のように遠慮なく怒られるようになって、いつの間にか昔のように呼び捨てで怒られるようになった。あの頃に戻れたみたいで、あるいはあの頃持っていたはずの未来を取り戻せたみたいで、とても嬉しかった。人は呼び名ひとつでこんなに嬉しく思えるものなのだ。

あの頃持っていたはずの未来、つまりずっとバレエを続けていた未来のこと。そんな未来はあったんだろうか。小5の頃私は本当に成績が良くて、中学受験をすることは120%決まっていた。だから小4のあの発表会がいずれにせよ小学生で最後の発表会になっていたと思う。では中学に上がってから再開していたらどうか。再開できたんだろうか。物理的にはまあ、できた。たぶん、私が強く望めば、金銭的にもできたんだと思う。うちはお金がないけど、母はそういう人だ。でも、何よりも私にそんな気持ちがなかった。結局のところ自分の意思でやめたことには何も変わりないのだった。

人生でほとんど唯一にして最大の後悔はバレエを止めたことと言って過言でない。

ただ、あの頃の私には動機がなかったのだ。バレエを始めた時のことを正直あまり覚えていない。見学した時のことはぼんやり覚えているけど、「ここがいい」と言った記憶はない(言ったらしい)。ただ気付いたら通っていた。さすがに踊りでセンターになれたら嬉しいとは思っていたけど、東京シティのプリマになりたいなんて露ほども思っていなかった。バレリーナになりたいとは思っていなかった。舞台に立つ楽しさに気付いたのは舞台が終わって10年してからのことだった。だから、うまくならなかったという理由で投げ出したのだ。あんなのは挫折でもなんでもなく、ただの逃げだ。

自分が専科クラスにいる自分を夢見ていることが許せない。自分の意思をとって「たら・れば」を言うなんて言語道断だと思う。だいたい今主観的にも客観的にも幸せなのだから、不平不満を言うなんて贅沢が過ぎる。しかも今のバレエだって十分幸せだ。薫先生を見るだけで幸せな気持ちになれるし、周りと比べて落ち込むこともない。

本当に、いつもはそれで満足している。ただ先生が専科クラスのことを口にするたびにありえなかった未来のことを考えてしまう。私もそちら側にいる、という未来。トゥーシューズで何回でもピルエットできる未来。

全てが欲しいなんて傲慢だ。私たちは無限の選択肢と可能性を持っていて、日々それらを選び、同時に選ばれなかったものを捨てながら生きている。私はバレエを捨てた。何かの代わりに捨てたふりをして、その実ただ自分の思い通りにならないからという理由で捨てた。自分の選択に責任を持たなければいけない。だけど、バレエを続けていたら慶應に入れなかった、なんてとてもじゃないけど考えられない。私は納得する理由を見つけられていない。ただ自分を責め続けることしかできない。いつまでも仮想世界の自分を超えられない。

無駄なことなんて何一つない、という荻野目苹果の言葉は私のモットーでもある。すべてが繋がっていると思う。そうなると、あの時バレエを止めたことも何かの伏線だったんだろうと思う。今こうして後悔していることも、後になって昇華されるのかもしれない。あるいは、後悔は後悔のまま残り続けるけれど、後悔のない人生なんてつまらないじゃないなんて言えるようになるのかもれない。

少なくとも今の私には、道は一つしか見えない。上手くなる。専科クラスに、なんて恥ずかしく、おこがましく、どれだけ突拍子もないことか分かっているので言えないけれど。とにかく、上手くなる。舞台に立つ。これ以上できないというところまで、他に何も考えられないくらい全力でやる。その道を進むことでしか、今の私は救われない。救ってあげたいと思う。何より、薫先生に褒められることがとても幸せに感じられる。

 

本番の舞台の上はとても静かだ。音楽が大きく鳴り響いているし、ライトが熱いくらいに私達を照らしている。それでも、本番の舞台の上はどこよりも静かだと思う。踊り始めの数秒、一瞬一瞬が止まったように感じられる。その時に考えていたのは、不思議なことに、お母さんどこだろう、でも、振り間違えないかな、でもなく、これで発表会が終わるのだ、ということだった。見ている人にとってはこれが曲の始まりなのに、私にとっては終わりだった。その数秒が過ぎると、今度は無意識のうちに体が動いて、気付いたら拍手を受けてお辞儀をしている。発表会の終わりは、至極あっけない。あんなに儚くて、泡のように一瞬で消えてしまうものにこんなに心惹かれるなんて、本当に運が悪かったとしか言いようがないし、本当に幸せなことだと思う。