布団大好き!

日記や所感など

卒論締切まで20時間を切っています。

 

衝撃。職場の推しが部署移動で私のチームから別のチームに移るそうです。同じ部屋で仕事するから、すれ違ったり挨拶したりはすると思うけど、ショックだなあ。

推しのことを好きでいるのは、若干ポーズみたいなところもあって。それでも、若干じゃない部分で、本気で好きだったんだなと思った。好きっていうのは恋愛感情だけじゃなくて、私にとっては人間に対するプラスの感情すべてを指していて。尊敬、敬愛、愛着。そういうのが色々あります。で、それは、ポーズなんかだけじゃなかったんだよね。

しんどいな。

推しの人生観とか、仕事の仕方とかいろいろ好きです。でも、一番私の中に強くあるのは、入社したばかりでまだ何も分からない私のことを色々気にかけてくれて、質問したら何でも教えてくれたり、初めてクレームを受けた時にフォローしてくれたりした、あの一年前の安心感だなあ。

何かを質問すると、教えてくれるのが好きだった。

一人称が「おれ」なのが好きだった。

初めてクレームにはまった時、途中から一緒に聞いててくれて、フォローしてくれて。なぐさめるだけじゃなくてアドバイスくれて。

思えば、私に一番アドバイスをくれたのは推しだった。他の人は基本的に褒めるしかしないから。だから推しは厳しかったと思うし、でも、推しに認められたくて頑張れた。

たぶん、推しは、今に至るまで、私のことをただの頭のいい優秀な人だと思ってる。それだけ。アルバイトとして期待以上に優秀だっただけ。私のがんばりを認めてくれてはいない、と思う。

悔しい。けど、それでいい。

もう二度と推しから私に電話が来ることはないんだな。それがとても悲しい。

卒業より一足早く、部分的な別れになりました。

 

バレエはいいぞ

11月24日に発表会が終わりました。

発表会前は週4くらいで踊っていて、息をするようにレッスンをしていたんだけど、発表会が終わるとそんな生活も嘘のように終わりました。案外あっけないものですね。

 

7歳でバレエに出会ってからずっとバレエを好きになれなかった私は、バレエを好きになるために、バレエから逃げた自分を許すために発表会に出ました。私の想定通り、私は今回の結果に非常に満足しています。

バレエに出会えてよかった、そして、11歳で一度離れてよかった。今は心からそう言うことができます。

一人の人間ができることって限られていて、たとえばピアノとバレエを両方極めるなんてことは難しいし、レッスンに出ながらまともに大学受験するのは厳しい。そんな限られた人生の中で、出会ったものがバレエでよかった。

バレエに出会って、苦しんで苦しんで苦しみ抜いたから幸せを感じられた。バレエに出会えてよかった。

そう思えるようになるための、長い長い15年間でした。

 

バレエのどこが好きか、上手く言葉にできないけど頑張って書くので読んでください。

 

音楽に合わせてバーレッスンをして、体の筋肉がぐうっと伸びる感覚。

ルルべ・アチチュードからアロンジェする一連の動きが、昔は全く出来なかったのに、感覚が掴めるようになった時の、嬉しさ。

10近く年の離れた後輩が、「rnxさん!」と懐いてくれて、学校やテストの話を聞かせてくれること。

何百回と聞いた音楽が流れると、音楽に合わせて体が勝手に動くこと。

発表会の時の、宇宙みたいに暗い観客席と、焼き尽くすようなスポットライト。

 

どれも足りないけど、だいたいこんな時に「バレエ楽しいな」って思います。

他のときはクソ辛い〜wwwって思います。ほんとに。爪先とか爆発するんじゃないかなってよく思う。でも、楽しいなって思う瞬間がどうしようもなく幸福で、忘れられなくて、手放せないから、今日も私はレオタードに袖を通します。

 

明後日もその次のクラスも私はレッスンをします。プリエ、タンデュ、ジュテ、ロンデジャンプ、アダージョ、フラッペ、グランバットマン。7歳の頃から、何百、何千回とやってきて、これからも、何十回もやっていく。上手くできると嬉しいし、思い通りにいかなくて自分の醜いからだを見るとイライラする。だから頑張って直す。ゆっくりと私は美しくなる。そして理想は成長の分だけ遠ざかる。その繰り返しを、愛おしく思う。

 

 

 

苹果の話

「さて、今日はある恋のお話です。追えば逃げ、逃げれば追われる。あれ程上手くいっていたのに、ある日突然そっけない。逃げられた!さあ、君ならどうする?」

「私だったら、追いかけない」

「なぜ?」

「疲れちゃうし」

「確かに、そういうタイプの人もいるね。つまり君は逃げる役目しかやらないと宣言するわけだ」

「どういう意味?」

「両方が逃げるんだから、それはお互いが「私からは近づきませんよ」と相手に言うのと同じってことさ」

「つまり?」

「その恋は実らない」

 

輪るピングドラム」第20話での実悧先生と陽毬の会話。非常に示唆的である。

この会話に10年近くずっと囚われているのかもしれない。キスと愛の話が続いている。

 

「それでいいよ。わたし、恋なんかしないもん。

例えばだけど、相手が逃げたら、私は追えばいいの?それで恋は実るの?」

「実る場合もある」

「そうかな。そういう相手は、逃げ続けて、絶対こっちには実りの果実を与えないんじゃないかな」

「鋭いね。そう、逃げるものは追うものに決して果実を与えない。そうすると、らくちんなゲームが終わるからね」

「ひどい」

「君は果実を手に入れたいわけだ。キスをするだけじゃ駄目なんだね」

「キスは無限じゃないんだよ。消費されちゃうんだよ。果実がないのにキスばかりしていると、私はからっぽになっちゃうよ」

「からっぽになったら駄目なのかい?」

「からっぽになったら、ぽいされるんだよ」
「ぽいされてもいいじゃないか。 百回のキスをやり返すんだよ」
「むりだよ。そうなっちゃったら、 心が凍りついて息もできなくなっちゃう」
「じゃあ心が凍りついて 息もできなくなるギリギリまでキスを繰り返せばいい」

「そんなの惨めだよ」
「惨めでもいいじゃないか。キスができるんだから。なにもしないで凍りついてもおもしろくないよ。だったらキスをして凍りつくほうが楽しいんじゃないかな」

「だったらどうすればいいの?」
「気持ちにまかせろってこと。 キスだけが果実じゃないかな」

 

キスと果実の話は長くなるので置いておくとして、わかりやすいのがこれですよね。

「両方が逃げるんだから、それはお互いが「私からは近づきませんよ」と相手に言うのと同じってことさ」

「つまり?」

「その恋は実らない」

 

追わなければ始まらないわけです。でも陽毬は果実を与えられないからいやだと言う。愛するという行為はそれが報われないリスクを常に伴っている。

それこそが愛の本質である。人を愛するとは、自分の箱という安全圏から手を出し、伸ばした手に乗せた林檎を受け取ってもらえないリスクを承知で、相手に林檎を届けようとすること、そして受け取ってもらうこと。それはなかなかできることではない。だから本当に人を愛せる人はなかなかいない。それこそが実悧の言う「ひとは自分の箱から抜け出すことができない」ということ。

 

 

さわやかな秋晴れの午後。

 


空気と同じくらい心も澄んでいます。「天気いいし、踊りたいな」なんて台詞が自分の頭の中に飛び出して、びっくりしました。バレエに対して、何とも言い難いどろどろした感情をずっと抱えていたのが嘘のように、最近は雑念もなくただひたすら目の前の踊りに夢中になっています。

9月か10月くらいから、バレエが楽しいと思えるようになりました。柔軟は面倒だし、バーレッスンはいつも理想とは程遠いし、夜遅くまで吐きそうになるくらい踊るし、でも、自分の見定めた目標に向かって目いっぱい頑張ることができている。それってすごく気持ちいいんです。

小学生の頃、バレエに打ち込めなくて、うまくいかずに逃げて

それから大学受験まで、何にも一生懸命になれなくて

大人クラスでは周りの温度差に耐えられなくて

今やっと、この15年ずっと心の中にあったわだかまりを昇華できた。

私はバレエで挫折を味わったけど、自分自身の選択と努力によってそれを克服した。今はバレエに出会ったこと、挫折したこと、全てが良かったと思える。

そう思えるようになったことは、人生の中で誇れるものの1つだ。

私、今とても幸せです

私はずっと何のためにバレエをやっているのか分からなくて苦しかった。小学生の時、バレエは私にとって何にもならなかった。同学年の友達とは話が合わなくて一緒にいるのがつらかったし、バレエは一向にうまくならなかった。

逃げたら楽になるかと思っていたらそうでもなくて、今度は頑張れなかったという経験が私を苛んだ。

もう一度頑張れば少しでも救われるかと思ってバレエに戻ると一分一秒が苦痛だった。誇張でなく文字通り呼吸をするごとに自分と理想との隔たりを思い知らされる。どれだけ頑張っても理想には届かない。頑張っても報われないし、でも頑張らなくても苦しくなることは10年かけて知っている。

私にとってバレエは逃げ場のない苦痛だった。終わりのない呪いだった。バレエに出会わなければよかったとずっと思っていた。

でも今はバレエがとても楽しい。発表会に向けて全身全霊で自分のすべてを注ぎ込んで、毎回くたくたになるまで練習している。そうすると自分が成長しているのがわかる。それはとても幸せなことだ。

つらい練習に耐えたクラスメイトとは知らず知らずのうちに仲良くなれた。同学年の子ともうまく仲良くなれなかった私が10歳近く年の離れた子たちとは仲良くなれた。連帯感。ともに頑張った仲間みたいな感じ。

音楽と自分が一体化する。耳から流れ込んできた音楽が自分の中で渦を巻いて勢いを増して踊りとなって手足から、全身からほとばしり出てステージ上を流れる音楽と一体化していく。光と音楽と空気と全部。

自分が透明な存在になれる。音楽と一体化して自分が自分じゃなくなる。汗を流して基礎練習に打ち込んでいる間はひたむきさだけを湛えた魂だけの存在になったような感覚になる。

それが幸せ。

いちばん大切なものは何ですか

 

毎日が流れるように過ぎていく。私はその流れの中で呼吸している。

 

毎週のようにバレエの合同練習がある。通常レッスンは22時までやるのが当たり前、遅い時は23時近くまでレッスンがある。

そんな風に日常の大部分を一つのことに捧げるのは私にとってとても心地よいことだ。

大学受験、それが終わって数年したあとにはコールセンターのアルバイト、半年前からはそれにバレエが加わった。

私は何かに飲み込まれそうになるくらい夢中になるのが大好きだ。

 

大学受験の直前期は色々なストレスが重なって胃を壊した。よく吐いていた。特にミルクティーを飲むと必ず吐いた。当時恨んでいた人の好きな飲み物だったから。胃液が座っている時も歩いている時も勝手に上がってきた。

昨日レッスン中に久しぶりに胃液が口に上がってきて懐かしかった。胃を弱らせるくらい頑張れているんだと嬉しくなった。筋肉を痛めたのも実は少し嬉しい。

限界まで頑張ることが私の好きなことで限界まで頑張れているかどうかは私の体がもう限界ですと言わない限りわからないからこれで私はちゃんと頑張れているんだと思える。

 

 

バレエと私 3

大人クラスでバレエを始めてみると意外なことにとても楽しかった。経験年数も体のコンディションもやる気も皆バラバラなので自分のペースで周りを気にせず頑張れたのが良かった。

スタジオで小さい頃に習っていて、若くてやる気のある私は先生に目をかけて貰えたので、そのことで嫌な言葉を聞くこともあったけれど、まったく意に介さないどころかわたしは喜んだ。

復帰半年後には発表会に出た。端役だったけれどライトに照らされる熱さは子どもの頃と同じだった。

バレエが楽しいとはっきり感じたのはあの頃が初めてだった。レッスンに行くのが憂鬱なのは変わらなかったけれど、踊るのは楽しかった。そして小学生の頃も本当は楽しかったのだと気付いた。

バレエが好きだ、そう思えるための10年間だったんだと思った。

 

復帰して1年と経たないうちに私はまた鬱屈とした気持ちになっていった。というのもバレエに慣れて感覚が戻ってくるにつれ、大人クラスのレベルや温度感が物足りなくなったのだ。

私にとってバレエは血のにじむような努力を重ねてなお届かない理想に向かってひたすら手を伸ばし続けるものだった。大人クラスの他の人にとってバレエはまあなんというか、ヨガの延長みたいな娯楽だった。その温度差に我慢ならなくなった。私のスタンスは専科クラス(小さい頃から続けている子が中学生〜高校生から入るクラス)のそれに近かった。

専科クラスで踊るには実力が足りないと分かっていながらそれでも専科への思いを捨てきれなかった私は、何人かの友人の後押しの力を借りて専科クラスのレッスンを受けることになった。

 

専科クラスのレッスンを受けてみるとあまりのハードさに毎回泣きそうになっていたような気がする。1年と経っていないのに記憶がおぼろげでよく思い出せない。

ただ体は確実に変わっていたし、一度専科クラスのレッスンを受けてみるともう大人クラスの空気感には本格的に我慢ならなかった。大人クラスのだるそうな諦めたような温度の中で発表会に出たくなんてないと思った。

そして私は専科クラスとして発表会に出ることを決めた。

「専科で発表会に出たいです」そう宣言した時、先生は「頑張らなきゃだめよ」と言って、それでも、わかったと言ってくれた。あの時なぜ断らなかったのだろう、とたまに思う。当時専科とは程遠い実力だった私の成長を期待してくれたんだと思うけど、たいした器だなと思う。