もち肌どら焼き「江戸ビューティー」のすゝめ

 

私はあんこが大好きだ。粒あんこしあん、白あん、黄身あん、桜あん、芋あん、栗あん、……どんなあんこも好きだ。粒あんこしあん論争なんてナンセンス。そんなつまらないことに気を取られている連中の手元のあんこをかっさらい、注射針で自分の脳天に注入したいくらい好きだ。私が点滴を打たれることがあったら、まず第一にあんこを点滴してほしい。私が生コン詰めにされることになったら、コンクリートではなくあんこを詰めてほしい。私を殴る時はあんこの塊で殴ってほしい。私を暗殺したくなったら寝ている私の口にあんこを詰めてほしい。

あんこを発明した人間がなぜノーベル平和賞を受賞していないのか甚だ疑問である。あんこは世界で一番すばらしい甘味と言って過言でない。神は一日目になんとやら、みたいな一説があるが、私に言わせれば神が一番最初に作ったのは小豆であり、二日目にそれを煮る鍋を、そして砂糖を作ったに違いないのだ。なぜならあんこは世界で一番すばらしいのだから。

 

そんなわけで私は和菓子が好きだ。特に好きなのは大福。もちもちの大福と中に詰まったあんのハーモニーときたら私にとっては核爆弾並みの威力がある。饅頭も好きだ。ふかふかのまんじゅうは唇に触れるだけで最高級の羽毛布団を思い起こさせる。饅頭布団の上で寝ることができたらどんなに幸せだろう。一晩中饅頭を食べ続け、朝が来る頃には胃が破裂して永遠の安らかな眠りについていること間違いなしだ。あと、大福に含まれるのか知らないが桜餅、柏餅、草餅、鶯餅、ずんだ餅なんかも好きだ。もちろんおはぎも好きだ。八つ橋も好き。秋田銘菓の金萬なんかも好きだ。あとは、青森県浅虫のローカルお菓子である久慈良餅。くじら餅を知らない人は人生を半分損しているとは言わないが、くじら餅という幸せを知れば人生の幸せが2倍くらいになると思う。口の中で砕けるくるみの香ばしさといったらこの世のものとは思えず、千葉にいながら浅虫の荒海にさらわれて昇天してしまうかと思うほど幸せになる。もちろん千葉に住んでいれば浅虫よりも東京湾からの津波東京湾沿岸埋め立て地域の液状化現象の方が怖いのは言うまでもないことである。

そして、何よりも外せないのが、どら焼きである。

どら焼き。すばらしい。まず名前がすばらしい。銅鑼。口に含むと脳天を銅鑼で殴られたような幸福感が身体中を電撃のように突き抜けることからその名前がつけられたと言われているのはあまり知られていない。原材料は小麦、卵、砂糖、牛乳、あんこ、などなど。白玉粉や餅粉を使うともっちりした触感になるほか、ハチミツやニッキ、抹茶などを生地に練り込むもよし。あんこに栗や餅が入っているものはまた格別である。先日生八つ橋の挟まったどら焼きを食べたが、あれはけしからん。言語道断の行いである。この世のものとは思えないほどおいしく、あやうく2個目3個目と手を伸ばしてしまうところだった。

 

そんな私が東京駅をぶらぶら歩いていると、見慣れない店を見つけた。ふらふらと近寄っていくとどら焼きの店だった。すばらしい。試食させてもらうとどら焼きの生地がもう今までに食べたどんなどら焼きよりもふかふかのもちもちなんである。なんとハチミツとニッキだか黒糖だかを練り込んでいるんだとか(おいしすぎて正直よく覚えていない)。4月15日までの期間限定販売ということでいてもたってもいられず抹茶どら焼き3個入りを買った。3個で800円くらいした気がするが舞い上がっていたので正直よく覚えていない。1個いくらだ。おいしさを考えると実質1個マイナス300円くらいか。

早速抹茶どら焼きを食べてみる(これを食べるために朝ごはんのパンを抜いた)。まず感じるのは生地のもっちりした感触。正確に表現するなら「もっっっちり」とでも言った方が適切なくらいのもっちり加減。そして、ふんわりと香る抹茶の香り。弱すぎず、しかし強すぎず、味もあり、ふんわりと香るいい具合の抹茶だ。そしてあんこ。あんこもすばらしかった。

以上を鑑みると日本に存在する数多くのどら焼きの中でも一、二を争うどら焼きだったことは明白だと思う。東十条の黒松のどら焼きもいいし、なんなら近所のスーパーに売ってるどら焼きも十分おいしいけどね。東京駅を通る人がもしこれを読んでいたらSouthCourtとかのそばにあるお菓子売り場(SouthCourtではない)にあるこのどら焼き買った方がいいです。マジで。あんこが憎くなければ買うべき。4月15日までです。あー毎食このどら焼き食べたいな。

 

この記事は1864文字でした。

 

 

中村航『僕の好きな人が、よく眠れますように』を読む

 

ツイッターで「誰か私の好みに合うであろう本を教えてくれ」というひどい乞食をしたら早稲田の文化構想に通っている読書家のお姉さまが中村航の本を薦めてくれたので読んだ。中村航の作品は今まで読んだことがなかったので、機会があれば他の作品も読んでみたい。

この作品の良さが分からなかったという感想を延々と書いてるので嫌な人はここで終わってください。私が良さを分からなかっただけで、出版されて本屋に並んでいるこの本は多くの人が価値を認めた本だし、中村航さんは作家として何冊も本を出せているのだからすばらしい作家さんだと思います。断じて貶すつもりはないのです。私は「良さが分からなかった」という感想も自分にとっては残す価値があると思ってるので、悪しからず。

 

この本のストーリーはこんな感じである。東京の理系大学で研究をしている大学院生である主人公の「僕」は北海道から一年間のゲスト研究員としてやってきた斎藤恵「めぐ」に一目惚れしてしまう。めぐは既婚者だったが、研究室で時間を過ごすうちに、お互いに惹かれあっていき、ついには付き合ってしまう。あらすじここまで。

結末としては、半同棲みたいな状態になっためぐが北海道に帰省し、寂しさのあまり(?)妹と一緒に東京タワーを見に来た僕がプチ願掛けに失敗して涙を流すところで終わる。

 

感想は私にはよく分からなかったというところに尽きる。文章は綺麗だと思うし、会話文が多いからするする読める。けどストーリーがどこへ向かっているのか終始分からないままで、結末も結局煮え切らないなあと思う。最後のシーンは僕とめぐの恋が上手くいかないことを暗示しているように見えるけど、それにしては切なさだとか寂しさだとかやりきれなさだとかそういったものの描写が足りないし、暗喩表現としてもパワー不足を感じる。

僕が迷っている時に何かしらの助けをしてくれる木戸さんという登場人物いるが、こいつもなんだかよく分からない。必要性を感じないとまでは言わないけど、やはりパワー不足というか、物語や舞台装置全体にフワフワした頼りなさを感じる。自分はもっと強く作者の意図を感じられる物語が好きなんだろうなと知った。

この記事を書きながら自分の好きな作品とこの作品の読後感の違いを考えていたんだけど、「好きだ」と思った作品は作品全体を通してのテーマを自分にとって明確に感じられるものが多かった。ざっくり言うと許しだとか、救いだとか、絆とか、既存の世界観の崩壊とか、そんな感じで「こういうテーマだな」と自分なりに解釈できるものを好んでいる。この作品からはテーマを読み取ることができなかったからモヤモヤした読後感が残ったんだろうな。

つまりテーマが分かればもう少しマシな読み方ができると思うので、いつか誰かに教えてもらってもう一度読もうと思います(笑)

 

次回はテーマを絞って何かの本の感想を書きたい。

 

新緑

 

2018年3月29日、晴れ。最高気温は20℃を超える。

今日はワキ・VIOの脱毛2回目と手足の脱毛の1回目なので千葉に行く。千葉に行くのにあまりギラギラのお洒落していきたくないので前に古着屋で買った少しゆるっとしたワンピースを着ていこうと思ってるけど、お洒落してってペリエで服を見るのも良いかもしれない。

雨がやんだ途端に一気に春が来た気がする。今まで咲いていても重たくて暗い春の雨のベールに包まれて自己主張できなかった桜の花が、柔らかい陽射しを存分に浴びて口々に歌っている。春だよ、春が来たよ、と。

 

運転免許を取った。18歳で取った人に比べれば遅いけど、普通車ATだけど、それはそれ。黄緑色の免許証を手にした時は、自分が予想していたよりもずっと嬉しかった。

雨が多かったこの春休みはずっと地元の教習所に通っていた。合宿に行く選択肢や、母の実家のある青森の教習所に通う選択肢もあったけど、バレエを休みたくなかったので地元に通うことにしたのだった。特に第二段階に入って路上で教習することになってからは雨ばかりで、良い勉強にはなったけれど、なんと卒業検定の日まで雨だったのだ。そして雨が上がって暖かく晴れた日に免許証を手にすることができた。こんなに出来すぎた絵が他にあるのだろうか?雨が終わったことで、本当に教習が終わったんだと実感してしまった。

本当にずっと教習所にいたので教習のことをやけに鮮明に覚えている(もちろん学科教本は隅から隅まで暗記した)。記憶に残っている教習や教官のことをメモしておく。たぶん一年後には忘れていると思うので、その頃に読み返したら面白いと思う。

 

・切り返し

切り返しというのはあの切り返しのことである。卒業検定で4回やると検定中止になるあの切り替えしだ。第一段階でSクランクを教わった人の一人に第二段階での方向変換を教わり、両方で切り返しの指導をされたのでこのYさんは私の中で切り返しの人という扱いになっている。

比較的要領が良く切り返しなしで成功しまくっていた私に丁寧に切り返しを教えてくれたこの人に感謝している。なぜなら教習では成功しまくっていたクランクは修了検定の時に接触してしまって切り返しが必要になったし、自宅の狭い駐車場に駐車するとなると切り返しをしなければいけないだろうから。この人はとても面白くて、だから私もよく話を聞いていたんだけど、切り返しちゃんと聞いといてよかった。

 

・観察教習

観察教習の教官には実は中間みきわめといくつかの学科でもお世話になっている。観察教習は3時限連続なのでめちゃめちゃウマが合わない教官に当たったらどうしようと思っていたが、特に威圧的でもなくさりとて気さくなわけでもないフラットな人なのでまあまあ当たりだと思った記憶がある。

その日は雨続きの3月の中で珍しく天気が良くて、「コインランドリーふわふわ」とかコイン精米機とか、道端の面白い物をぼんやり眺めながら適当にメモを取ればよかったので楽しかった。私以外の二人はもっと必死になってメモを取っていたけどせっかくのお天気だし自分が運転するわけじゃないし乗り物酔いするし気楽に行こうと思っていた。「指導員はバスを見て早めに安全確認と合図をして追い越しの準備をしたが、バスが発進の合図をしたので合図を消して追い越しをやめた」という私のコメントを見て「rnxさんって細かいルールが好きなんだね。なんかそういう職業向いてるんじゃない。検察官とかになれば?」と半笑いで言うので面白かった。検察官って司法試験の上位合格者がなるのに、こんな学科教本隅から隅まで覚えたくらいでイキってる文学部生がなれるわけない(笑)

他に教習生が2人いたこともあって自分の運転は上手くいった。たぶん。危険予測ディスカッションで他の2人はそれぞれ「右折時対向車が見えていなかった」「AT車はブレーキ踏まないと減速しないんだよ」とか色々言われていたけど私は「rnxさんはまあ、ほら、○○さんがいっぱい褒めてくれてるからこのコメント読んどいて(笑)」だけで済まされ、なんか言えよ!と思ったね。突っ込みどころの多い教官だった。

 

・自主経路

地図に書き込まれたスタート地点とゴール地点を見て経路を設計してその通りに進む教習。3コースあるんだけど、全部自宅とバレエスタジオの辺りだったから余裕だった。これは地元の教習所にしてよかったと思う大きな理由の一つ。

自主経路の2回目の教官はマメで優しい人だった。第一段階のSも教わってたんだけど、私の原簿を見て「一緒にSクランクやった以来だね!覚えてる?」と教習の最初に声をかけてくれた。向こうは覚えてるわけないと思うけど、やっぱりそう言われて悪くは思わないので、こういうテクニックは塾講アルバイトとして見習いたい。

この人とのコースはhnm川沿いの横断歩道近くからスタートしてkmhm駅に向かうカーブを通りingkgn駅方面に向かう道を左折して道なりに右折してGS近くまで行くコースだった。とにかく馴染みのエリアだったので知ってる道を通ろうと、転回したり住宅街の中を突っ切ったりするルートを設計する私に「知ってる道じゃなくて走りやすい道を選ぶんだよ。もっと簡単な道があるよ」と指導してくれて、しかもコースの分かりやすい覚え方まで教えてくれたので感動した。

あまりに教えるのがうまく人当りがいいのでこの人の話し方や教え方を真似たら教え子からのウケがびっくりするくらい良くなったのですごい。真似たポイントは、

・積極的に褒める。当たり前のことでもできたら褒める。合図、右左折、車線変更、などなど。褒められて悪く思う人はいない。

・説明が終わったら相手の理解度を測る。その際に「何かわからない事あった?」じゃなくて「もう少し説明欲しいところあるかな」という言葉を使っていた。うまく言えないけど後者の方が聞きやすかった。

・することの見通しを言う。「今日も自主経路だよ。今日は前回のゴール地点から出発するコースです」みたいな?目的が明確になったので良かった。

・注意するときはやんわり優しく、でも具体的に。出来た所までは認める。「今の右折は交差点の中央まで行けてたけど、直前の寄せが少し遅かったね。それって工事現場に気を取られて合図が遅れたからじゃない?だから次回は適切タイミングで合図できるようにしようか」とかそんな感じ。

・教習の終わりには出来た所を褒める。「ミラー見て合図出して目視して、動いて、っていう車線変更の流れはすごく上手かったよ!苦手だって言ってた左方向変換も今日はできてたし、この調子で頑張ってね」この一言があればその一時間ものすごく頑張れた気になるので生徒のやる気を引き出せるんだなあ。

あと、その人が当たり前のように教えてくれた「ミラーと番号札を合わせる時にハンドルに目線を合わせる」って今まで誰にも教わってなかったので、当たり前に思えることでもとりあえず説明した方がいいんだなって思った。

 

・高速教習

教官はどちらかと言えば馬が合わない人だったけどスピード出してぶっ飛ばすのが楽しかったのであまり気にならなかった。本当に気持ちよかった。

私が何の躊躇いもなく80や100出して「これが100㎞/hです。どうですか?」と聞かれても「まあこんなもんかって感じですね」とか答えるので教官も言うことがなくなっていて面白かった。高速、スピード出すしかやることないもんなあ。

両親がスピードスターすぎて今まで高速の法定制限速度140㎞/hだと思っていた話を切り返しの人に話したら「140㎞/hで事故ったらたぶん生きて帰れないですね~」と引き気味で言われた。おっしゃる通りであるとしか言いようがない。私は絶対に140㎞/hなんて出さない。

 

・特殊項目

地域特性に応じた項目。イヲンモール前の片側4車線道路の右折だということは知っていたので楽しみにしていた。

特殊項目の教官は今まで学科でよくお世話になった人だった。体感だけど3割くらいはこの人に教わった気がする。生徒に話を振ったり質問したりと参加型に近い授業をする人で、どんなに頭が悪くてやる気がない生徒もすくい上げて授業に入れこませるという強い気持ちと工夫を感じた。

そういう教官だったので一度は技能も当たってみたいと思っていたら一番楽しい項目で当たってラッキーだった。あんなに面白い人と延々縦列駐車なんてやることになってたら泣くわ。学科の授業の工夫のこととか話してくれて、私は個別指導講師なのでその教え方自体は直接の参考にはできなかったけど、何か自分の理想にできるようなモデルを見つけてそれに寄せていく、という方法は教えることに限らず役に立つと思う。あと、陸橋に続く道に出る前に話してくれたプライド高すぎる教習生の話が面白すぎて、合図忘れそうになるくらい爆笑した。

右折から戻るFホテルのあたりで50メートル先のバスをよけようと合図を出していたら信号を見落としていて思い切り補助ブレーキを踏まれた。「上手く避けられる、上手くやろうみたいな意識があったよね。技術は確かにあるけどそういう意識が先に立ってるから、基本に足を掬われないようにね」全くその通りである。私には安全運転したいという意識と同じくらい上手く運転したいという意識がある。みきわめや卒業検定では緊張していたしとにかくパスすること優先だったから大丈夫だったけど、車に慣れたらきっとこれが私の悪い運転傾向に繋がると思うので、いつまでも謙虚にいたい。

あとは何だっけな、左折時や停止時にもっとゆるやかに止まった方がいいとも言われた(それまで私の左折や停止は2回に1回はリュックが下に落ちるくらい荒かった。ヤバい)。あまりにブレーキが甘いので「マニュアルっぽい走り方だよね。審査受ければ?」とまで言われた。何なら他の教官にも「それだけ飲み込み早いならマニュアルにしとけばよかったのに」と言われたけど、ATで教習してもブレーキ不足になる人がMTで教習してたら卒業してからヤバすぎるでしょ。それはそれとしてMTかっこよくて今更羨ましくなったから審査受けたい。

ちなみにこの人には総合みきわめもやってもらった。その頃メンがヘラっていて、一人で運転するのが怖くて、「免許取りたくないです」と半泣きになりながら教習を受けたけど、特殊の時に注意されたことは全部できるようになっていて褒められみきわめ一発良好だった。本当に泣きそうになりながら地図を受け取り、ずいぶん励ましてもらったけど、免許取った今さっさと運転したくてしょうがないのであの時励ましてもらったの謝りたいくらいだ(笑)運転怖い><なんて言ってた私は免許センターに置いてきちゃいました~~~~~~~^^待ってろよ東北道^^

 

そんな感じでなかなか楽しいことも多かった教習だったのでした。ちなみに嫌いな教官も数人いたけどおめでたいことに急速に記憶が薄まっているのでこのまま忘れます^^

とにかく教える技術って様々なんだなあと思った。今まで私が10年触れてきた教え方は生徒にやる気と理解力があることが前提で、授業のリズム感や与えられる知識の量を重視した教え方だったので、どうしても自分の教え方もそれに近いものになりがちだった。けど教習所の生徒は年齢も学生の偏差値もバラバラで、そんなに難しい内容ではないにせよ全員にある程度の知識と技能をつけなきゃいけないので、より幅広い層に対応した教え方が意識されていた。もちろんテンポと情報量!みたいな学科をやる先生もいたけどね。バカへの教え方で一昔前の教官のイメージみたいにとにかく厳しく教えて叩き込むみたいなのももちろんあるんだと思うけど、特にSクランクの人、特殊項目の人みたいな教え方なら怒鳴らなくても生徒に言うこと聞かせられそうですごい。

「学科はキャラ作ってくけど技能はマンツーマンだから生徒に合わせて言い方とか変わる」って言ってた特殊項目の人、今から思えば完全に「中途半端に自信だけある人向けの注意」って感じの教え方だったの笑うわ。

 

そうこうしてるうちにもうすぐ春休み終わっちゃいますね!まだ10歳みたいな気分なのにもう大学生活折り返しでヤバいなあ。

 

 

トラブルレポート

 

ここ一週間近くずっと憂鬱な気分が続いている。朝起きた瞬間から食べている時も歩いている時もバイトしている時も肋骨全体を太いゴムバンドで絞めつけられているような感じがする。空気が薄い。私の周りだけ酸素の濃度が4%くらいしかないんじゃないかという気すらする。

 

たぶん憂鬱な気分の一番の原因は教習所の卒業が近づいていることだ。免許センターに行ける日はもう少し先だけど。卒業してしまうともう補助ブレーキを踏んでくれる人は誰もいなくて、自分が一人のドライバーになることが怖い。

今までずっと運転には自信があった。たぶん適性があったし飲み込みも早かったし指導員の質も高かったんだと思う。指導員のアドバイスより一拍早く行動を起こすこともままあった。指導員の指導を疎ましく思う瞬間もまあ、あった。それでも、どんなに高圧的な指導員でも、隣に乗っていてもらってどこかで安心していたんだと思う。本当に誰にも補助ブレーキを踏まれないのかと思うと(実際はめったに補助ブレーキなんて踏まれていなかったのに)怖くて、つらい。卒業検定に落ちることよりも受かることの方が100万倍怖い。

 

あともう一つはバレエだ。最近分かったのだけど私はずっと小学校の頃をやり直したくて、あわよくば続きをしたくてバレエに戻っていた。私の目の前の道は小学校の頃と同じく、何もなく、ただ刹那的に目先のバレエを楽しんでいる。問題なのは小学生の頃と同じようにはいかないこと、自分がもう小学生ではないことを随所で思い知らされることだ。しかも私には時間がない。もうタイムリミットがすぐそこまで迫っているかもしれない。

大人のバレエだからとおしゃれなヨガくらいの感覚でバレエを楽しめたらきっと楽だ。周りからは私もそう見えるに違いないけど私の中では絶対にそうじゃなくて怒られて褒められて劣等感を抱いたりしながらも一つのステージにたどり着く、スポットを浴びる、そういったことがたぶん心の底から好きなのだ。

バレエに未来が見えないからといってやめるべきではないと思う。なんにせよ私はどうしようもないくらいバレエが好きで、幸か不幸かその気持ちに真正面から向き合うことができているのだから、できるうちに全力で取り組んだらいいと思う。苦しくても、つらくても、そんなに好きならやったらいいじゃない。そんなに好きなものに出会えたならわざわざ手放すことないじゃない。そうだ。もう一度逃げることだけはしないと誓って再開したのだから、自分の意思で手放す時は世界中の誰に向かっても胸を張って言える理由で手放すのだ。

今はまだ苦しむ時だ。ずっと苦しいままかもしれない、何も得られないかもしれないそれでも、まだ止める理由がない。だからまだしがみつかなければいけないと思う。

 

たぶん苦痛を知覚することがなければどんな痛みにも耐えられる。というか、それは痛みではないのかもしれないけど。傷が見えなければないのと一緒なのと同じように。傷に気付いた時に痛みを感じてしまったことを嘆くか傷に気付くことができたことを何かに生かすのかは自分次第だ。ただ痛がるだけの人にはなりたくない。なってはいけない。知ったことを何かの役に立てる、それは責任のようなものだとも思う。

 

まず今一つだけ願いが叶うなら卒業検定に落ちてしまいたい。

 

 

個別指導講師のバイトをしていると色んな子供に出会う。指先が荒れている子は精神的に年のわりに少し未成熟だったり、不安定なところがあることが多い。爪をはがしたり指先の皮をむいたりしてしまう子は大抵そうだ。だから指先が荒れている子を見ると少し胸が痛くなる。

かく言う私もゆるやかな自傷行為を繰り返してきた。髪を抜いたり指先の皮をむいたり頰や脚の皮膚をえぐってみたりとバリエーション豊かな広義の自傷である。ちなみにオーソドックスなリストカットはしたことがない。しようと思ったことはあるがノーカンの範疇である。これは昔の自分に感謝感激雨嵐ってやつだ。

最近は情緒不安定になったら自分の外に注意を向けるようにしている。掃除をしたりナンプレをしたりソリティアフリーセルをしたり。ブログを書くのもその一環だ。それでもどうしようもなかったら寝る。アイネクライネなんかを聴いて泣いて寝る。

もっと情緒の安定した人間になりたい。すぐ病むのやめたい。凪のような心でありたい。川を見ると飛び込みたくなるのをやめたい。

どうしたら情緒的に安定する?忙しくても暇でも病むものは病む。今現在の状況を赦せるようになると過去が赦せなくなる。

私が自分を大切にできないことが一番ダメなんだ。かわいがってばかりで、大切になんてしていない。撫でているだけだ。甘い水で根腐りしても私は植物と違って死なない。

自分を大切にしたいので中途半端だけど寝ます。

 

晴れ

 

春休みはおおむねずっと家にいた。家と教習所を往復して、週2日バイトして、残りの時間はバレエの発表会のDVDを見ていた。

あと数日で教習所は卒業だ。適性検査結果に反して運転に優れていた私なので卒業が遅れることはまずないだろう。学科試験もほぼ満点、車線変更も右左折転回も駐車も完璧。もちろん指導教官のお陰であることは言うまでもない。

敢えて指名制度も忌避指名制度も使わなかったが、当たりの指導員は本当に当たりだった。どれくらいすごいかというと、当たり指導員の語り口を真似してバイトの授業をしたら生徒から大ウケだった。彼らのあの人当たりの良さはどこから来ているんだろう?人に教える仕事が天職なんだろうなという感じはするが、自動車教習所だけなんてもったいないと思った。もっと評価されてほしい。ひとまず私は見習いたい。

 

都内にあまり出ない生活は移動時間のロスがなくなってゆったりしていた。お陰で考えすぎるくらい考える時間を持つことができた。バレエのこと、今までのこと、これからのこと。煮詰まってどうしようもなくなったら掃除機をかけた。家中の隅から隅までほとんど毎日掃除機をかけていたら家の中がやけに綺麗になった。それでも心が晴れない日もあった。

私がいなくなってからの発表会を6年分くらい見た。それからまた私が出た最後の発表会を見たら今までにない感情が湧き上がってきた。今まで意識していなかった「私もその上の学年も小学生だ」ということを強く感じた。つまり今までは年齢を意識せず、ずっと心の中に張り付いているものとして見ていたけれど、それらがすべて過去のものだということをようやく実感できたということ。すべて過去のことだった。もう終わったことだ。私はまだ過去から目を話すことができないし、どこへ向かえばいいのかも分からないままだけど、それは大きな収穫だったように思う。たぶん、バレエから離れていた10年間を心の底から肯定することができれば終わるんだと思う。そう、お分かりだろうか。私はこの期に及んで、まだ過去にこだわっている。

 

 

江國香織『すいかの匂い』を読む

 

せっかくの春休みなので人に薦めてもらった本を読むことにする。薦めてもらった本の中で立ち寄った本屋に唯一置いてあった『すいかの匂い』。怖いもの見たさで読んでねと言われてディープな恋愛ものを想像してかかったら見事に裏切られる。

「夏」を共通の舞台にした11の短編から成る。大人になった語り手が自身の忘れられない記憶を回想する形の物語である。子供の記憶は実にあいまいで、できごとの背景が分からなかったり、突拍子もないものが強く印象に残っていたり、かと思えば重要な部分が抜け落ちていたりする。そういった子ども時代の記憶の不正確さが実際以上にその記憶を恐ろしく、特別で、鮮やかなものに見せる。そういった印象を受けた。

全部そこはかとなく後味が悪い。グロでもホラーでもないのに少し奇妙な雰囲気で、なんとも言い難いものがある。カタルシスの得られなさといったらいいのか、本当に「なんとも言い難い」としか言いようがない。こんな頭の悪い感想しか書けないけど嫌いじゃない。なにより文章がとても好きだ。

特に怖かったのが「水の輪」。これがまさに「子どもの頃の記憶だからこそ恐ろしい」というやつだと思う。もしこの主人公が一人の大人としてこの回想にある場面に居合わせても、特別怖いとは思わないだろう。子供だったからこそ恐ろしく、その怖かったという感情ばかり強調されて記憶されるから恐ろしいのだ。子どもの頃は経験値が浅いから恐怖も驚きも大人の比じゃないということは身に染みてわかっている。

 

文章が好きだと思ったので、特に好きな文章でも引用しようかと思ったんだけど、特にこれという所がないのでやめます。全体的に穏やかな雰囲気の流れる柔らかい文章で紡がれる、暑い日の冷たく恐ろしい思い出の話。同期の受け売りになるけど、怖いもの見たさで読んでほしい。