布団大好き!

日記や所感など

火曜2限 ※すべて妄想です

いつも通りの2限出勤。火曜2限は印刷メディア。今日はよく晴れていてぽかぽかと暖かく、春らしいとても良いお天気だったのでお気に入りのワンピースを着ていきました。明るい水色で、上半身はぴったりと体のラインに吸い付いてスカートがふんわりと膝まで広がるもの。ノースリーブなのでレモンイエローの少し厚手のカーディガンを合わせます。「輪るピングドラム」のヒロイン高倉陽毬のお決まりの服であるところの青いスカートに雰囲気が似ているので、私はこれをひっそりと「陽毬ちゃんコーデ」と名付けています。

鞄は先日バイト代をはたいて買ったもので、COACHの合皮のトートバッグ。グレージュという優しい色合いながら控えめなスタッズがついていて気に入っています。

印刷メディアの授業中に考えを巡らせるのは、もっぱら活版印刷の発達とともに変化した人々の「本」という実体に対する意識の変化――ではなく、その日のお昼ご飯であることは言うまでもありません。お昼に何を食べようか考えているだけで時間がどんどん過ぎてゆきます。生協で病院食を食べるか、外に食べに行くか、コンビニで適当に買ってpreciousで食べるか。カフェテリアで食べるという選択肢も私は好きです。カフェテリアは値段がそこそこ高いので、コストパフォーマンスの評価は人によって分かれますね。

結局悩んでいるうちに数独ソリティアに興じてしまい、授業が終わってしまったので途方に暮れてしまいます。なんということでしょう。昼飯の内容が決まらないまま昼休みの中庭に放り出された私は、さながら暗くて広い宇宙にたった一人で漂っている衛星の欠片のような心細さを感じました。

そこで突然、脳天に雷が落ちたような衝撃が走ります。そうだ、オムカレー行こう!オムカレーとは私が愛してやまない、三田で一番愛したランチスポット、ないしはそこのメニューを指します。オム・カレー。シンプルながら美味しく、他では絶対に食べられない味。小さめに切った具がとろとろになるまで煮込まれた甘口のさらりとしたカレーと、シルクのように滑らかなオム。その美しさは楊貴妃と並ぶとまで称えられ、その美味しさはさながら大麻のようであると噂されます。つまり、論理的に考えて、昼食のメニューが決まらないというのはありえないのです。三田ではオムカレーを食べると生まれたときから決まっているのです。

”気づき”を得た私はオムカレーを食べに行き、うまさのあまり昇天しまったのでした。

おしまい。

 

3月29日

2階のエレベーターホールで一人でエレベーターを待っていたら、推しが来て、「おはようございます」と挨拶だけ交わして二人きりで執務室のあるフロアまで昇りました。

そんなことってある?

別々の経路で示し合わせもせずに出勤している推しとエレベーターかち合うって奇跡ですよ。推しは業務開始が9時じゃないこともあるし、出勤途中のどこかで顔を合わせたらその日はとても運がいいってレベル。まして二人きりなんて今までただの一度だってなかった。

神様が最後にいい思いをさせてくれたのかもしれませんね。

そんなこの日は、1年半勤めたこの会社の最終出勤日でした。

 

先月くらいから指折り数えて恐れていた日がとうとう来てしまいました。昨日、皆の前で推しから花束を、仲良かった上司からプレゼントを手渡されました。

最終日の今日は残念ながらその仲良かった上司はお休みだったのですが、推しと、一番優しい上司Kさんと、いつも穏やかでかわいい上司Yさんがいて、一番かわいがってくれた先輩たちがいました。最後の日が今日でよかったな、と思いました。

私は1月から3月まででこの実績を作る、と決めていた目標があったのですが、Kさんに確認してもらったらそれを余裕を持ってクリアしていたので嬉しかったです。

そういえば昼休みに寝ていたら偶然少し後ろの席にKさんがいました。はじめて休憩中に話しかけて、ちょっと話した。もう次の日から会うことなんてないのに、また明日があるような感じでなんてことない話をして不思議だなと思った。これも今までにない偶然でしたね。最後の日にこんな偶然が重なるなんて不思議。

いつもみたいに終業時刻ぎりぎりまで仕事して、片づけをしていたら離れた席に座っていたYさんがきて、Yさんに挨拶しようとした時に決壊して大泣きしてしまった。

それから、推しに挨拶しました。推しが「よく頑張っていたと思うよ。研修の飲み込みも早かったし、数字も一番だったし。本当にお疲れ様でした」って言ってくれて、今ここで死んでしまえたらどんなに良いだろうな、と思いました。

それから後のことは、よく覚えていません。でも、一度も話したこともないような違うチームのお局さんたちが、お疲れさま、と言ってくれて、嬉しかった。学生ということもあって悪口言ってくるお局もいたけど、こうして認めてくれる人がいたんだって最後の日にやっとわかる。

 

苦しい。

 

 

ウェブで応募してから初めて電話をくれたのは推しでした。本当はインバウンドチームに応募していたのですがそこの人数がちょうど埋まってしまっていて、でもアウトバウンドのチームが人数が足りないから来ないか、っていう。

ぜひ、と答えるとさっそく面接の日程を組んでくれて、ミーティングルームで面接して。推しと、五島さん、それから研修チームの社員さんがいました。

採用の連絡をくれたのも推しだったなあ。

 

入社してからの私は研修の覚えがいいことで有名になったけど、おばさんばかりの職場は最初どこに身を置いたらいいのかわからないような戸惑いもあった。でも初期研修を終えて部署の研修に入ると、部署の先輩みんなが下の名前で呼んでくれて、結局試用期間を終える頃にはバイトが大好きになっていた。

 

仕事を覚えて初めての挫折は3月頭。ハードクレームに引っかかって散々怒られて電話切って大泣き。その時フォローしてくれたのがRさんと推しと五島さんと珠さんだった。

みんながフォローしてくれて、でも推しは慰めるだけじゃなくて助言をくれて。

誰かの隣にいるなら先輩のようになりたいと思ったし、上に立つなら推しのような人になりたいと思った。そして、一オペレーターとして二度と同じ失敗をしないと誓った。

その月から私は実績の一番を今日まで誰にも譲らなかった。

 

推しは無愛想で冷たかったけど、たまに、ものすごい量の仕事を言いつけて、私が爆速で終わらせると「え、もう終わったの。流石だね」と言ってくれるのが好きだった。

五島さんは推しと少し似ていて、私のことをとてもかわいがってくれて、よく冗談みたいな会話をした。五島さんと話すのが好きだった。

上原さんは一番優しかった。バレエの疲れや偏頭痛で体調が悪い時に、気付いてくれるのは上原さんだった。体調悪いですか?無理しないでいいですからね、って。面白いのが、上原さんがそう言ってくれる日に限ってとっても忙しかったことね。結局私も上原さんも休まずゴリゴリに仕事してやっと退勤、ってなる日だったな。

 

 

ほんとにこの会社が大好きでした。同じ部署の人は全員私よりずっと年上だったけど、仲良くしてくれて、かわいがってくれて、ありがたかったなあ。社員さんもみんなかわいがってくれて。私が実績を出し始めてからは、信頼もしてくれて。

同じような毎日の繰り返し、同じような仕事をずっと何件も処理していくようなそういう職種だったけど、同じ日は一日もなくて、どの日も二度とない大切な日だった。すべてが大切で愛おしかった。大好きだった。

もうこんなに恵まれた環境なんて二度と出会えないかもしれないけど、それでも仕方ないと思えるくらい幸せな1年半でした。

仕事も周りの人も大好きだった。1年半なんてあまりに短かった。もっともっと数字を出して貢献できるようになりたかった。

 

クレームにかかった時の2倍は泣いた。どれだけ泣いても悲しかった。今まで生きてきた中でこれより苦しいことなんてなかった、と思う。

悲しくて苦しくてこのまま死んでしまいたいと思った。どうして時間は流れるんだろう、こんなにもこの場所を愛おしく思っても、時間が流れていくんだろう。

どうして、

終わってほしくないものばかり、終わってしまうんだろう。

もうこんな思いをするくらいなら誰も何も好きになりたくない、嫌な職場だったらどんなに良かったのにと思うけど、それでも、出会えてよかったと思うのをやめられない。

それがどうしようもなく苦しかった。

 

数日経った今、目が覚めた瞬間に涙が溢れるような悲しみは過ぎた。きっと私はあの会社のない毎日をゆっくりと受け入れていくんだと思う。そうやって生きてきた。生きていく。

 

見慣れた執務室も、毎朝唱和したコールセンターミッションも、休憩室の風景も、先輩たちの顔も、私がそこにいたことも、

そこで努力して、信頼を得たことも

こんなの嘘なんじゃないかってくらい、周りのみんなに愛して大切にしてもらえたことも

その場所を、人を、私が焦がれるほど愛していたことも

きっと忘れない。もうあの場所と出会う前の私には戻れない。だから、私が死ぬまで、あの場所は私の中にずっとある。

 

それは苦しいけれど、きっと悲しいことなんかじゃない。

 

寂しいと思えないことの寂しさ

 

かの有名な『妖狐×僕SS』の作者藤原ここあ先生の短編集『お嬢様と妖怪執事』の最後の作品「私は」が初めて読んだ10年前からずっと大好きで、今回のタイトルはラストの一幕のモノローグから。

「私は」の主人公は高校三年生。写真を撮るのが好きな大人びた少女なんですが、その趣味に対する気持ちを誰とも分かち会えないこともあって同級生とはどこか距離を感じている。友達はそれなりにいるけれども、一番大切なものを分かち合えない友達を近くに感じられず、別れを寂しいと思えない。

そんな虚しさを抱えながら卒業します。その日ただ一人だけ自分の世界を共有できる相手と思っている写真館の気難しい主人に「私そんなだから、空虚なんですよね」と零すと、彼は数は少ないけれども丁寧な言葉でその痛みを掬い取る。

「好きなものを分かち合えない淋しさに一生苦しむかもしれない、だけど君は出会ったんだ、それほど好きなものに」

「分かち難いほどの気持ちに」

こんな言葉で彼女を肯定してくれる人は彼だけだったのです。写真館の主人とはもう会うことはないのですが、彼女はこれからも写真を撮り続けるのでしょう。

誰とも交われないからこそ表現できる世界がある。それは紛れもない彼女の世界。

だとすれば、それは虚しいことなんかじゃない。

 

この話をどうしてそんなに好きかというと、私もまた同級生との別れを寂しいと思えない人だったんですよね。

友達は、多くはないけれどいました(ありがたい)。学校生活が楽しくないわけじゃなかった。

でも、幼稚園卒園も、小学校卒業も、高校卒業も、あまり寂しく思えなかった。別れを惜しむことができなかった。

一緒にいた友達やクラスメイトに別れがたいほど切実に縋ることができなかった。自分の世界に友達を入れていなかったんですよね。

そんな自分を恥ずかしく思っていたし、彼女の言葉通り「虚しい」と思っていました。だから、「私は」の主人公に自分を重ねて救われていたんですよね。

 

高校卒業から早いもので4年経ち、今日大学の卒業式(だった日)を迎えました。

4年間色々なことがありました。

1年目はキャンパスがとにかく遠く、生きるので精一杯で、記憶もないし思い出もありません。2年目は都内のキャンパスになったことで少し余裕ができ、専攻の友達なんかもできました。

3年目からは専攻の勉強がより専門的で面白くなり専攻の友達や他専攻の友達とも本格的に仲良くなっていよいよ楽しかったです。

4年目はそれまでに得られた友達ととにかくたくさん遊びました。忙しかったけど旅行行ったり出かけたりとにかく色々。

そういうのが詰まった大学生活は本当に楽しかった。もう大学生活が終わりで、こんな事もう二度と出来ないと思うと、こんなに友達に会えることなんてもうないと思うと、たまらなく寂しいです。

だから、私はこの4年でちゃんと人と関われたんだなって思います。

寂しいと思えない寂しさがあることは悪いことじゃない。けど、寂しいと思えることはやっぱり尊いことなんです。寂しいと思わせてくれた友人のみんな、ありがとう。

お前なんかに出会うんじゃなかったよ

某医療ドラマ第3期9話でK地先生から発せられた台詞なんですけど、これってすごくないですか?

加地先生は主人公に関してたびたびこれに類する発言をしています。「俺たちの人生はデーモンに出会う前と後で分けられる。もう出会う前には戻れない」(Y)、「あいつに(お前に)人生狂わされた」(複数回)など。

文字通りK地先生は彼女によって人生を狂わされているので(灘からT大医学部に進学してそのままT大学病院医局なんて絵に描いたようなエリートコースを歩んでいたのに、地方に飛ばされまくったり夜中に無許可でオペしたり果ては解雇されたり、本当に狂わされてる)、これらの発言は別段不自然ではないんですけど、身支度のBGM代わりにかけ流してるところにこの発言が耳に飛び込んできてぎょっとしてしまった。

出会って人生狂わされて、もう出会う前の自分には戻れなくって、悪魔みたいに思えるけど目が離せない、って。

まるで唯一無二の愛してる人みたいじゃないですか。

 

というか、まあ言ってみれば、私も今とても好きな人に、もし自分の気持ちを伝えることがあるとしたら、同じことを言うと思うんです。お前なんかに会うんじゃなかったよって。

出会って好きになったけど、好きでいるのは結構つらかったし、本当どうしてくれるんだよって思う。

その人がいると今までの自分じゃありえなかったようなことまでしてしまうし

その人を通して見た景色とか感じた温度とか空の色とか一生忘れられないし

もう出会う前には戻れない、一体どうしてくれるんだ、って思ってます。だからきっと言います。あなたなんかに出会わなければよかったです、って。

 

でもK地先生も私も(加地先生が彼女を愛しているとは言いませんが)、相手のことを心から嫌悪してそれを言うわけじゃないんですよ。もう腹が立つし、忌々しくて、できることならその出会いをなかったことにしてしまいたいって口では何度でも言うんだけど、じゃあ本当になかったことにしますかってなったら、多分そうはしないと思うんです。

だってもう出会った後の自分になっちゃってるから。今更出会わなかった頃になんて戻れないから。

 

人との出会い、関わりによって人は変化します。それは不可逆の変化です。仮に戻ったように見えたとしても、それは一度変化したものがもう一度変化しただけで、人の変化はやはり一方向なのです。

そう考えるとしがらみや忖度や期待、妬み嫉みばかりに思える、人間同士の関わりの日々も、とても尊いものに思えませんか。出会った人が自分の人格に影響を与え、自分もまた相手に影響を与えている。それは自分やその人の中でずっと有機的に存在するだけでなく、自分や相手が今後関わる人間にまで影響を与えるのです。

人は出会いによって作られているってこういうことなんですね。

 

そのドラマは二つの見どころがあります。一つはもちろん主人公が天才的な頭脳と手腕で患者の命を救っていくヒーロー物語。もう一つは主人公の周りの人が主人公に影響を与えられて少しずつ変化していく様子。まあ、これは私が勝手に思っているだけなんですけどね。めちゃくちゃ好きなので是非。

THE ICEBREAKER

ロンドンのFORTNUM&MASONに行ったら板チョコが売っていたので買いました。その板チョコはフレーバーごとに名前がつけられていて、その名前が気に入ったものを2枚選んで買いました。

1枚目、’ROSE IN THE VIOLET DRESS’

2枚目、’GOODNIGHT MY BITTERSWEET BELOVED’

2枚目は読めば即エモで説明不要なんですが、1枚目が掛詞なのが好きです。紫色のドレスの中で立ち昇った薔薇。何の比喩かなあ。

 

もう一つ気になったのが’THE ICEBREAKER’

氷を割る人。

市川春子先生の『宝石の国』のアンタークチサイトを思わせる詞ですね。ホワイトチョコレートだから買うのをやめたんですが、買えばよかったなあ。

氷を割る人に私もなりたい。氷は永遠じゃないんです。そんな不確かなものを守るようなことはしたくない。

読みたい本リスト

随時更新

 

辻村深月 ツナグ

辻村深月 ぼくのメジャースプーン

辻村深月 スロウハイツの神様

綿矢りさ ウォーク・イン・クローゼット

江國香織 なつのひかり

ふみふみの そらいろのカニ

よしもとばなな 哀しい予感

よしもとばなな アムリタ

江國香織 流しのしたの骨

村田沙耶香 殺人出産

西UKO 宝石色の恋

かずまこと 純水アドレッセンス

さかもと麻乃 パイをあげましょ、あなたにパイをね

 

 

今朝の夢

現在のバイト先で仕事をしている。作業に没頭していたが、気付くと終業時刻(18.0)をとうに過ぎ、22.0くらいになっている。

私と同じバイト身分の人は私以外みな帰ってしまっていて、社員さん達はいる。向こうの人が数人、私の部署の人は横山さん、五島さん、上原さんがいた。

上原さんに「今日この時間から帰らなきゃだめですか?このまま残って明日も仕事しちゃだめですか?」とごねる。上原さんは苦笑いする。そうこうしているうちに翌朝6.00になる。上原さんは誰かに聞きに行って「特例として今日だけはこのまま残っていいってことになりました」と私に伝える。

喜んでまた仕事を続けていると翌日(その時点では当日だけど)のシフトの人たちが出勤してくる。その人たちの中になぜか大学受験の予備校の友達で法法に進学した子がいる。

その子が「rnxスカート短すぎ、パンツ見えそう」というので少しめくって下にショートパンツを穿いていることを見せると、それを見た石田さんが突如私の横面を張り、出ていきなさいと言う。私は出ていく。

ロッカールームで戸井さんとその同期の人たちとすれ違う。戸井さんを見てわずかに頬を緩める私。戸井さんも少しだけ表情を緩めて会釈してくれた。