poco a poco

 

2月19日、月曜日、たぶん晴れ。部屋の中は暖かい。

今日が何日で、何曜日なのか、意識しないと分からない。日々がゆっくりとしかし確かな速度を持って滑らかな霧のように私をすり抜けていく。私の一日はカレンダーにプロットされた全体の中の一つではなく、体重の増減やフェイスラインの変化、進んでいく自動車教習といった極めて狭い範囲の変遷と比較で認知されている。時間を相対的にしか見ることができない。ふと気付けば何もかも手遅れになるようにできている。

私よりも彼氏の方が私のブログに詳しい。書いた覚えのないことをよく言われる。私が忘れっぽいのか、彼がサトリのような妖怪なのかは分からない。

最近バレエやめたいと思う瞬間が出てきた。どんな瞬間なのかはうまく思い出せないけど、とにかくどうしようもなくできないことに遭遇するとやめたいと思う。ただ一瞬そう思うだけですぐ消えるのでただの嫌だという感情と同じようなものだと思う。むしろ良い傾向だと思う。できないことが悔しい程度には向き合えている。

レッスンの最中にTシャツとショートパンツを身につけるのをやめたら先生が厳しくなった。嬉しい。なんとなく前よりも私が本気になったと思ってくれているような感じがする。頑張ってるねと言ってもらえて嬉しかった。この先どうなるかは分からないけれど今バレエを習えている幸せだけは決して忘れない。

私は褒められて伸びるタイプだろうか。須藤先生はとても厳しい先生だったような気がする。恥ずかしながらもう記憶が曖昧になっている。須藤先生に褒められると嬉しかったがあれは飴と鞭でありDVや洗脳の方法に近いものがあったと思う。少なくとも私は須藤先生が好きだった。暗唱を一回するごとに脳の神経や血管を一つ一つ切っていくような心持ちがした。きっとその神経は羞恥心を伝える働きをしていた。その血管には甘えたぬるい血液が流れていた。そういったこれまでの自分を形成していたもの一つずつ捨てて受験勉強に身を捧げた。あれは不可逆性の変化だと思う。もう私は大学受験をする前の私とは決定的に違う。そういうわけで、私は今でも須藤先生が好きだ。今の私はそういう風に作られているので、これはどうしようもない。許してほしい。(これもまたDV被害者みたいだ。私はまだ洗脳の中にいるのかもしれない。上等だ。)

忘れていないことも沢山ある。御茶ノ水の真っ暗な道、池袋の冷たい空気。あの焦がれるように熱い日々を懐かしく、愛おしく思う。忘れられるわけがない。大好きだ。一生懸命になることは本当に気持ちいい。頭の中がクリアーだった。あれから丸2年が経つ。私は私の人生をどこへ運んでいくんだろう。あの頃私を助けてくれた人たちとまた会えたらいいと思う。もう大日本帝国憲法をそらんじることはできないし、アンチテーゼを日本語訳できないし、英検1級だって落ちるけれど、彼らに胸を張れる自分でありたい。大学名を自慢にしなくちゃいけないようなつまらない人間にだけはならない。

月収100万(額面)くらいほしい。

 

あの舞台の上

 

2月2日、おそらく雪。寒い。

 

このブログは彼氏に読まれている。隠していないので別にいい。

ちなみに彼氏に隠しているブログもある。半年くらい書いていないので、ほとんどないのと同じだと思う。私が覚えやすいIDにしていなければとっくの昔にネットの藻屑と化している。

私はマメなので自分の利用したSNSは使わなくなったらだいたいは責任を持って消している。消せないまま藻屑にしてしまったのはベネッセの運営するSNS、自分のサイト、高校生になってから2回目と3回目に作ったAmebaのアカウント、ピアプロ、昔のpixivアカウント、だ。ネットの海のごみを増やして本当に申し訳ないと思っているが、もはや私の努力でどうにかなりそうなのはAmebaピアプロくらいだと思う。自分のサイトは運が良ければ自動で消えているはずだ。

 

バレエは楽しい。

同じクラスの人の名前をだいたい覚えられてきたし、向こうもたまに私に話しかけてくれるようになった。身体もだいぶ動くようになってきた。あと、薫先生は最近、私を呼び捨てにしてくれる。

子どものクラスでは下の名前の呼び捨てが基本だ。だから子供の頃から続けている子はそのまま下の名前呼び捨てで呼ばれる。今の私のクラスは大人になってからスタジオに入った人が大半なので、その人たちは名字か名前のさん付けで呼ばれる。私以外にもう一人だけ子供の頃にスタジオにいた人がいるが、薫先生と同年代なので逆に当時の生徒同士の呼び名、名前ちゃん付で呼ばれている。

私は再開した当初は周りの人との間を取ってなのか、やはり10年ぶりの生徒を呼び捨てにできなかったのか、ちゃん付で呼ばれていた。悪くない。ドキドキした。ちなみに名字さん付けで呼ばれたらショックで立ち直れず、東京湾の藻屑と化していたと思う。最近は私が慣れたので昔のように遠慮なく怒られるようになって、いつの間にか昔のように呼び捨てで怒られるようになった。あの頃に戻れたみたいで、あるいはあの頃持っていたはずの未来を取り戻せたみたいで、とても嬉しかった。人は呼び名ひとつでこんなに嬉しく思えるものなのだ。

あの頃持っていたはずの未来、つまりずっとバレエを続けていた未来のこと。そんな未来はあったんだろうか。小5の頃私は本当に成績が良くて、中学受験をすることは120%決まっていた。だから小4のあの発表会がいずれにせよ小学生で最後の発表会になっていたと思う。では中学に上がってから再開していたらどうか。再開できたんだろうか。物理的にはまあ、できた。たぶん、私が強く望めば、金銭的にもできたんだと思う。うちはお金がないけど、母はそういう人だ。でも、何よりも私にそんな気持ちがなかった。結局のところ自分の意思でやめたことには何も変わりないのだった。

人生でほとんど唯一にして最大の後悔はバレエを止めたことと言って過言でない。

ただ、あの頃の私には動機がなかったのだ。バレエを始めた時のことを正直あまり覚えていない。見学した時のことはぼんやり覚えているけど、「ここがいい」と言った記憶はない(言ったらしい)。ただ気付いたら通っていた。さすがに踊りでセンターになれたら嬉しいとは思っていたけど、東京シティのプリマになりたいなんて露ほども思っていなかった。バレリーナになりたいとは思っていなかった。舞台に立つ楽しさに気付いたのは舞台が終わって10年してからのことだった。だから、うまくならなかったという理由で投げ出したのだ。あんなのは挫折でもなんでもなく、ただの逃げだ。

自分が専科クラスにいる自分を夢見ていることが許せない。自分の意思をとって「たら・れば」を言うなんて言語道断だと思う。だいたい今主観的にも客観的にも幸せなのだから、不平不満を言うなんて贅沢が過ぎる。しかも今のバレエだって十分幸せだ。薫先生を見るだけで幸せな気持ちになれるし、周りと比べて落ち込むこともない。

本当に、いつもはそれで満足している。ただ先生が専科クラスのことを口にするたびにありえなかった未来のことを考えてしまう。私もそちら側にいる、という未来。トゥーシューズで何回でもピルエットできる未来。

全てが欲しいなんて傲慢だ。私たちは無限の選択肢と可能性を持っていて、日々それらを選び、同時に選ばれなかったものを捨てながら生きている。私はバレエを捨てた。何かの代わりに捨てたふりをして、その実ただ自分の思い通りにならないからという理由で捨てた。自分の選択に責任を持たなければいけない。だけど、バレエを続けていたら慶應に入れなかった、なんてとてもじゃないけど考えられない。私は納得する理由を見つけられていない。ただ自分を責め続けることしかできない。いつまでも仮想世界の自分を超えられない。

無駄なことなんて何一つない、という荻野目苹果の言葉は私のモットーでもある。すべてが繋がっていると思う。そうなると、あの時バレエを止めたことも何かの伏線だったんだろうと思う。今こうして後悔していることも、後になって昇華されるのかもしれない。あるいは、後悔は後悔のまま残り続けるけれど、後悔のない人生なんてつまらないじゃないなんて言えるようになるのかもれない。

少なくとも今の私には、道は一つしか見えない。上手くなる。専科クラスに、なんて恥ずかしく、おこがましく、どれだけ突拍子もないことか分かっているので言えないけれど。とにかく、上手くなる。舞台に立つ。これ以上できないというところまで、他に何も考えられないくらい全力でやる。その道を進むことでしか、今の私は救われない。救ってあげたいと思う。何より、薫先生に褒められることがとても幸せに感じられる。

 

本番の舞台の上はとても静かだ。音楽が大きく鳴り響いているし、ライトが熱いくらいに私達を照らしている。それでも、本番の舞台の上はどこよりも静かだと思う。踊り始めの数秒、一瞬一瞬が止まったように感じられる。その時に考えていたのは、不思議なことに、お母さんどこだろう、でも、振り間違えないかな、でもなく、これで発表会が終わるのだ、ということだった。見ている人にとってはこれが曲の始まりなのに、私にとっては終わりだった。その数秒が過ぎると、今度は無意識のうちに体が動いて、気付いたら拍手を受けてお辞儀をしている。発表会の終わりは、至極あっけない。あんなに儚くて、泡のように一瞬で消えてしまうものにこんなに心惹かれるなんて、本当に運が悪かったとしか言いようがないし、本当に幸せなことだと思う。

 

 

あれこれ

 

2月2日、雪(おそらく)。起きてからテレビをつけていないのと、部屋のカーテンを閉め切っているので家族からの情報でしか分からない。

昨日もこんな調子だったので、電車に乗ってから雨が降っているのに気付いたため出先で傘を買うことになった。かわいい折り畳み傘を見つけ、これなら無駄な間に合わせの買い物にならないと思っていざ開いてみたら五骨だった。前にも何気なく買った傘が五骨で、あまりの頼りなさに辟易したんだけど、五骨の折り畳み傘って流行ってるんですか?

五骨の折り畳み傘は開いた形が五角形だから小さいし、風圧にも弱そうだし、雨が叩きつけたら滲みてきそうな感じすらする。最後のはさすがに私の偏見だと思う。折り畳み傘はあくまで突然の雨に備えるもので、強い雨が降ると分かっていたら最初から長傘を持っていくので御守りという意味では軽くて小さい五骨の折り畳み傘は目的に合っていると言えるのかもしれない。

 

最近あったこと。湘南美容外科に行った。目的はVIO・ワキの脱毛と、二重整形。脱毛は文句なし。ずっと行きたいと思いつつ面倒で先延ばしにしていた脱毛をようやく行動に移せたのはバレエがあるお陰だ。

二重整形はひとまず湘南美容外科ではしないことにした。というのも医師が私の瞼を見て開口一番「この瞼だと簡単な埋没法では平行二重は作れないですね、作ったとしても末広型になる。いずれにせよしっかり留める埋没法か切開をお勧めします」と言って20万前後する施術を勧めてきたのだ。

私は元が左は奥二重~末広二重、右が一重~奥二重で、おおむね両目とも奥二重になるように調整している。整形の目的は両目とも同じ幅の奥二重で固定することだ。全人類が幅広平行二重を目指していると思うなよ、湘南美容外科。きっとあそこは幅広平行二重になりたい人ばかりが集まるんだろう。偏った価値観が煮詰まった少し独特な空間ではあると思う。正直言って私は末広型の二重が好きなので、よくわからないけれど、いずれにせよ幅広平行二重しか頭にない医師と理想のすり合わせをして施術を任せる勇気はないのでまた別の美容外科で。

 

二週間前に試験がすべて終わって春休みに入った。昨日最後まで往生際悪く残していた課題を提出して本当に春休みに入った(提出確認メールはまだ来ていない)。春休みは今のところほとんどバイトを入れず、ゆるゆる教習所に通って3月末に免許を取る予定しかない。あと3月には半年ぶりくらいにTOEICを受けるのでできればその勉強もしたい。

私はTOEICを受けるのが好きだ。というか資格試験を受けるのが好きだ。そう言うと皆から気味悪がられる。教材を揃え、申し込み、手帳を埋め、対策をして受け、結果を見るというすべてのステップが楽しい。TOEICだけは受けることにしか興味がない。奇数月に受け、英検と同じ月になった場合は受けないといううるう年算出法みたいなルールで受けている。

 

昨日KITTEの本屋で市川春子先生の画集『愛の仮晶』を購入した。発売日よりだいぶ遅れての購入だった。

本当に素晴らしいとしか言いようのない充実度だった。市川春子先生の作品がどれも詰まっていて、はっと心臓を掴むような印象のイラストが読んだ当時の感動を身体中から呼び起こすようだった。これ以上語っても蛇足なので終わり。市川春子先生が好きな人は買っても損しないと思う。感動のあまり、正直いくら払ったのか覚えていないが、たとえ1万円だったとしても買う価値はあったと思う。

 

本当はバレエの話を書こうと思っていたけど、思いつくままに書いていたら長くなったのでいったん終わり。

 

 

拝啓 未来の私様

  

2018年1月5日、くもり。寒い。

先日彼氏にこのブログを音読されてすごく恥ずかしかったけど、生きてる限り恥なのでしょうがない。強く生き、書き続けます。誰得とか言って謙遜するんじゃないよ、自分得なんだよ!

中1の時の道徳の時間に20歳の自分に手紙を書くことがあって、早い人は年末くらいに届いてたんですが私には年が明けてから届きました。

中1の時のことは、正直あまり思い出せるようなことがなくて、ただ幼かったことだけ覚えています。あの頃私はツイッターもやっていなかったし、Amebaブログもやってなかったし、アニメも漫画もほとんど知らなかった。当然輪るピングドラムも知らない。日々何を考えていたんだろうね。読書ばっかりしていたという点では小学生の時の私に近いと思うけど、もうあの頃のような万能感はなくて…なので、完全に谷間の時代だなあ。

 

7年前の私によれば、その時流行っていたのは嵐、AKB48もしドラなどなど。手紙を書いた三日前、1月16日に犬のベッキーが亡くなったばかり。

「7年後はもうおじいちゃんは生きていないかな」はい、その通りです。その年の冬休みも帰省しておじいちゃんに会っていたのに、そんなことを考えていたんだね。

あとは、なになにということからたくさんのことを学んだから忘れないでね、とか。これは具体的に書いてなかったので思い出せなかった。それから後にも色んな人と関わって、色んなことを学んだから、正直誰が何を言っていたのか、混ざってしまってよく思い出せない。

 

あの時は未来の自分への手紙なんて馬鹿馬鹿しいって思っていたけど、今回受け取ってすごく考えさせられたし、良いことを経験させてもらったと思います。なので、今日はその返事です。もう私の代わりに手紙を保管して投函してくれる人はいないので、このブログで未来の自分への手紙を書いて、ついでに13歳の自分への返信もしておきます。

 

 

13歳の私へ

今あまり楽しいことがないでしょうね。大丈夫、数か月後にはツイッターという後の10年のかけがえのない存在に出会えますよ。それから、アニメを見るようになって、アニメイトに通い詰めるようになると毎日脳が弾けてるんじゃないかってくらい楽しいですよ。

ベッキーの命日を教えてくれてありがとう。ママも私もすっかり忘れていました。冬だということは、流石に覚えていたけど。まだベッキーが亡くなったことを受け入れ切れていないでしょう。7年経つと、もうベッキーの小屋があった所につい目をやってしまうこともなくなって、散歩に行くはずだった時間を持て余すこともなくなるよ。

おじいちゃんはあなたの予想どおり、もう生きていません。でも6月まで生きていたよ。そこまで持つと思ってなかったね。元気なおじいちゃんと最後に会話した時からもうすぐ1年です。

13歳からの7年で信じられないくらい色んなことを経験しました。まずAmebaツイッターをやるようになったし、アニメ漫画大好きになった。最近だと大学受験の時にまた性格や考え方が少し変わりました。

それから、小5でやめたバレエを再開しています。びっくりした?13歳の今は、もう再開には間に合わないって思っているでしょう。あなたが本当に取り返しのつかないことって案外少ないと気付くのに7年かかりました(朝礼の時の校長先生風)。

もしタイムマシンがあって13歳の私に何かを伝えられるとしたら、伝えたいことは決まっています。数学ちゃんとやってください。毎日授業のノート見返して、その日の演習問題解くだけでいいから。まあ、それが大変ってくらい体力的に余裕がないことは分かってるけど、頼むから人助けだと思って頑張ってよ。

とにかく人生そのうち楽しくなるから元気にやってください。

20歳の私より。

 

 

30歳の私へ

結婚してますか?子供はいますか?どんな会社で働いていますか?

今隣に大切な人はいますか?その人は20歳の誕生日を一緒に迎えてくれた人ですか?

20歳の私はハトムギ化粧水とそのへんの乳液だけで肌がピチピチです。

最近はにゃんこスターという芸人が流行っているようです。にゃんごすたーかと思ったよね。

今の総理大臣は安倍晋三氏、アメリカ大統領はドナルド・トランプ氏です。北朝鮮情勢がきなくさい。10年後の日本はマスクなして街を歩けますか?

宝石の国のアニメがついこの間終わりました。実を言うとパパラチアの女はもうダメです。

一昨日うちは車を契約したみたいです。

それから、大切な人おるけん卍卍めっちゃ大切やけん卍卍卍。最高の彼氏います。愛想尽かされてないですか?彼氏は私の好きなケーキ屋さんに一緒に行ってくれたり、一緒に遊べるゲームをしてくれたりします。料理もすごく上手で、優しくて...30歳になっても一緒にいられたらいいなあ。

30歳のあなたのために私は今から図書情の課題をやります。

家族を大切にしてね。

20歳の私より

 

 

 

バレエについてのあれこれ

 

2017年12月31日、大晦日。

28日まで大学があったのでまだ年末の気がしない。去年もそうだったし、一昨年なんてまだこの時間は某指定暴力団の校舎で油を売っていたので、いまいち世間の感覚とずれてしまっている。私はクリスマスや自分の誕生日にもあまりこだわらないし、きっと一生こんな感じだろうな、と思う。

 

2017年で一番の転機はバレエを再開したことだった。

 

7歳から11歳までバレエを習っていた。辞めた理由は表向きは中学受験。本当は、思うように上達しないのが嫌になって逃げた。

辞めた時にはもうバレエを好きじゃなかったはずなのに、それから10年近くの間バレエを忘れたことは一度もなかった。真剣に向き合わなかったことをいつまでもずっと後悔して、ずっと続けていたらどんな未来があったんだろう、そんな根性があったらどんな自分になっていたんだろうとずっと考えていた。

 

転機が訪れたのは今年の夏。知人に付き合ってあるバレエ教室の発表会を見に行くことになった。行ってみたら自分の通っていた教室の発表会との差に愕然とした。会場のキャパ、お客さんの数、演出、プログラムの印刷。私の通っていた教室ってすごかったんだ。何から何まで全然違った。自分の通っていた教室がいかに恵まれていたのかを知った。

その時、それまでの10年で一番強烈に、バレエをもう一度始めたい、と思った。自分の手放したものの大きさを知ったら、それ以上何もせずに後悔だけし続けることはできなかった。

 

バレエを始めてから思うようにいかないことばかりだった。

日々課題とバイトに追われながら毎晩30分かけて柔軟とストレッチをするのは決して楽じゃなかった。月謝を自腹で払っていると毎月の貯金額が1.5万減るし、毎週土曜夜にレッスンがあると週末に勉強に割ける時間も限られるし、当然すぐには上達しないし。

それでも、バレエを再開してから、私はそれまでよりもずっと充実した日々を送っていたと思う。

レッスンに出るたびに幸せな気分になれるし、母は事あるごと私がバレエを再開して良かったと言ってくれる。先生は時々私のことを昔の呼び名で呼んでくれる。ありがたいことに、発表会を見に行きたいと言ってくれる友人もいる。

あの時衝動に身を任せてスタジオに電話をかけて良かった。

私は今とても幸せです。

 

転機はいつも予兆なく訪れる。慶應文を志望すると決めた日、図書情に進学すると決めた日、バレエを再開すると決めた日。同じように続いていくと思われた日常がある日突然姿を変える。発表会を見に行くその日まで、私はこの先ずっとバレエをやめたことをただ後悔し続けて生きていくんだと思っていた。

私は自分の未来をぼんやり想像しながら生きているけれど、最近、私の想像している通りにはいかないんじゃないかという気がしてきた。私の未来予想はここ数年、ずっと裏切られ続けている。

来年はどんな転機が訪れるんだろうか。できれば、就活というやつを良い方に転がしてほしいんだけど笑(他力本願)

 

もう一つ思ったこと。

たぶん、全ては繋がっている。荻野目苹果の言葉を借りれば、無駄なことなんて何一つない。そう、私は運命を信じている、と言えるのかもしれない。

小学生の時に実を結ばなかったバレエは、10年経って私の生活を豊かにしてくれている。最近は、むしろ今この時のためにバレエを始めたんだろうな、とすら思う。10年前に当たり前だったことのありがたみを実感している。決して安くない月謝を払っていてくれたこと、毎回送り迎えをしてくれたこと。

だから、本当に、すべては繋がっているのだ。今ある出来事も、いつか訪れる転機の伏線になっているのだ。たぶん。

 

 

少なくともブログは何の伏線にもならないだろうけど、けっこう楽しいので来年もちょっとずつ書いていこうと思います。それではみなさん、よいお年を。

 

 

演奏会と私の四畳半

2017年12月17日、晴れ。寒い。

110デニールのタイツに、毛糸のパンツ、二枚重ねのあったか下着、お腹と足先のカイロ、冬服にコートで武装していたのに寒い。そう言ったら一緒にいた友人に「それは暑いよ」と言われた。春よ来い。

ワグネル女性合唱団の第67回定演に行ってきた。

ワグネルの定演に行くのは2回目で、1回目はちょうど一年前、第66回の定演だった。

去年と今年の公演で思ったことを備忘録として書いておく。四畳半神話大系的な話。

ちなみに、先に大事なことだけ言っておくと、公演は言葉で表しきれないくらい素敵でした。

 

大学1回生の春、私は最終的にある2つのサークルのどちらに入るかで迷っていた。今所属している茶道のサークルと、件のワグネルだった。

茶道は受験期の恩師に勧められて興味を持った。ワグネルは今回で引退したミオさんに誘われたのだ。どちらも素敵で、捨て難く、大変ながらも充実した未来が待っているように感じられた。色々考えて、茶道を選び、今に至る。

茶道サークルは楽しかったけれど、大学1年の頃からずっと、自分の選択に疑問を持っていた。ワグネルを選んだ方が良かったのではないか。茶道を選んだのは失敗だったのではないか。茶道サークルの幹部となることを決めた最近でもぼんやりとその疑問は残っていた。

そんな最中ミオさんにお招きいただいた定演。ミオさんの引退の場でもあるので、共通の知り合いである友人を誘ってお邪魔した。

行ってよかった。クリスマスプレゼントとばかりに出された超弩級の課題を家に残してでも、行ってよかった。課題はいつでもできるのだ(できるとは言ってない)。

 

特に印象深かったのはミオさんが指揮をしたセカンドステージだった。ファーストステージはずっと歌っているミオさんを見ていたけれど、セカンドステージでは指揮を執るミオさんの顔は見えなかった。ミオさんの指揮は迫力があって、皆の歌声を引っ張っていて、指先で糸を引いているみたいだった。
歌っている人は皆真っ直ぐにミオさんを見ていた。なので私は、歌っている人の目に映るミオさんを見ていた。皆とミオさんを結ぶ強い糸が綺麗だった。

セカンドステージの最後の曲はラストの盛り上がりの迫力とハーモニーの美しさが合わさって感動的だった。言葉にすると陳腐なのが悔しい。なにかを褒める時に言葉が足りないと思わされるのは久しぶりだ。

島唄」も印象に残っている。澪さんのソロも勿論綺麗だったけど、それ以上に、中盤で全員がうねるように歌う箇所が綺麗だった。全員の歌声が一つの楽器の音色みたいだった。

 

どの曲も素晴らしくて、コートを持っておくのも忘れて夢中になって聴き入っていた。全員がとても綺麗だった。もし私がワグネルに入っていたら私はあちら側にいたんだろうかと少し思って、けれどすぐに、それはありえない話だな、と思い直した。

たった1回の演奏会のために、何曲も、あんなに綺麗な演奏に仕上げるのに、一体どれだけの努力が必要なのか。想像はついたけれど、実感を持って想像できるほど、私は人生で何かに打ち込んだことはなかった。私は努力を続けられる人間じゃなかった。

そもそも私は楽譜が読めない。ドの音から指で追って数えて書き込まないと読めない。四分の三拍子が何なのか分からない。だけど、楽譜が読めたとしても私にはこの集団は入れなかったと思った。

眩しかった。完敗だった。何も競っていないのに、私は負けていた。

合唱団の人たちの努力の結晶は、耳にビリビリと感じられた。全身が熱くなって、少し泣きそうになった。

 

敗北感を味わって、どこか安心している自分がいた。ワグネルを選んでいた未来はない。そんなパラレルワールドは妄想の中にすら存在しない。「タラ・レバ」が一つ消えて少し楽になった。

あの時の自分の選択はちゃんと正しかった。

ワグネルを選ばなかった私は茶道に打ち込むわけでもないのだけど、それでも、前を向こう。

そんなことを思ったワグネル定演だった。

素晴らしい演奏をありがとうございました。

 

 

氷の世界

すべてが凍りついている。
ここは氷河期が到来してゆうに百年は経った世界だ。海は凍りつき、時折何かの拍子で砕けた氷の塊が零度の海をさ迷う。
氷河期が来ることは数百年も前から分かっていたそうだ。しかし政治家や民衆、実業家達は、何の手立てもできないままでいた。先立つ経済的な不況が、人々から思考力を奪っていた。唯一、科学者たちは必死の研究を続けたが、どのみち氷河期の到来を阻止することは出来なかった。
「ママ、ママ、今日のおやつはなあに」
「かき氷よ。すきなソースでお食べ」
「嫌だぁぁぁぁ僕かき氷は嫌だよぉぉお汁粉が食べたいよぉぉぉ」
「我慢しなさい、小豆はとても貴重なの。次に配給で回ってくるのは五年後よ」
人々は防寒機能だけ完璧な集合住宅の中で暮らしていた。食料は配給制で、赤道付近の地下深くにある栽培所や工場でロボットによって育てられた野菜や肉やその加工食品は配給制で各家庭に配られる。おおよそ氷河期が到来する前に存在していた全ての種類の食物を生産することができたが、量は限られており、主食は必要とされる栄養素を含んだだけの合成穀物バーだった。そして、小さい子供のいる家庭には、色のついた砂糖シロップが支給された。
「私もこうして、おやつがかき氷と聞くとよく泣いたものだわ。たまに出てくるお汁粉やドーナツが、どんなに嬉しかったことか。私だって、毎日違うおやつを出してあげたいわ。そうだ、あのうなぎの蒲焼きというお菓子は、たかし君まだ食べたことなかったわね」
「うなぎの蒲焼き?」
「そう。うなぎというのはお魚の種類よ。といっても、「うなぎの蒲焼き」にはうなぎは使われていないんだけどね」
「何それ、変なの。でも、食べてみたいなあ」
「半年後に選択支給よ。マシュマロとうなぎの蒲焼き、どちらが良い?」
「マシュマロを浮かべたココアが飲みたい」
たかしは目をキラキラと輝かせた。
ママはそっと首を振る。
「カカオパウダーの配給はずうっと先よ」
毎日、同じことの繰り返しだった。同じ味の穀物バーに、申し訳程度の味付けをして、少しのおかずと共に腹に入れる。家から出ることはなく、子供はVRで教育を受ける。家族全員でVR遊園地やVR映画に行くこともできる。
VRがあれば、何でもできた。しかし、何も出来ないのと同じだった。人々はただ、生きるためだけに生きている。


という夢を見た。