伏線

 

いつぞやの誕生日に「私は毎年、自分が一年前の自分が予想もしていなかった姿になっている。今思い描いている未来予想図もきっと覆される。一年後の私はどんな私なんだろう、楽しみだ」みたいなことをどこかで書いたと思うのだが、複数あるブログを全て読み返しても見つけられなかった。もしかしたらツイッターかもしれない。だとしたらもう読むことはできないので、残念だ。

一年というのは単なる時間の長さなので、はっきり言って起点となる日はいつでもいいのだ。大抵の人はそれが誕生日であったり、年や年度の変わり目だったりする。私も御多分に漏れず、そのような区切りを採用している人間の一人である。

なので、年末に際して2018年を振り返ってみたいと思う。

 

2018年を迎える時に考えていたのはたぶんバレエ、就活、運転免許のことだ。特にバレエは17年度も3/4を過ぎたところでいきなり始めたのにも関わらず、その時の私の頭の大部分を占めていた。17年度のサプライズto私はバレエだった。

18年度のサプライズはなんだろう、将来のことが一番大きいのかな。2月に就活のため視野を広げるイベントに行ったときは、「自分はやりたいことは何もないし、社会的地位とお金さえあれば何でもいい」と思っていた。その思想は結構最近まであって、実際夏も秋も「とりあえず知ってる企業思いついた順に出そう」みたいなノリで出していた(でも出して行って得たものはたくさんあったので悪くなかったと思う)。

最近になってようやく自分は今大学でやっている勉強が好きで、この分野から離れたら幸せになれない、と気付いた。こんな気付きを得られる日が来るなんて予想もしていなかった。

 

私は派手な挑戦をする人間ではない。毎日、定期券代とバレエ代を稼ぐためのバイトに明け暮れて、まじめに課題をこなし、授業やサークルに出て、合間にローコストなエンターテインメントであるツイッターに勤しむ、かなり面白味のない人間だと思う。

だから、私の一つ一つの選択は、私の期待値を超えないのだ。その時その時で私にとって「順当である」と思われる選択をずっとしていることがほとんどだ。

しかしその選択の積み重ねによって以前の私の期待値を大きく上回って行ったり(1.1^10≒4であるように)、ある選択が期待を大きく超える結果を吐き出したり、想定していなかった外部要因の影響を受けることで、一年後の結果は私が予想もしていなかったものになる。

高2くらいからそんな感じで毎年自分の期待を裏切り続けている。

今ある日常のあれこれも、いつか伏線として私の人生を動かしていく要素の一つになるんだろう。それが何なのかは、分からないけど。

私は自分を観察していて面白いなと思う。人生は楽しい。(つらいことも多いけど!)

 

なので、こうして年単位で自分のことを振りかえる時に毎回言っていることになるんだけど、一年後の私はどうせ私の予想と大きく違う姿になっているんだろう。というか今回に限っては「こうなりたい」と思う姿すらよく分かっていないので、どう転んでも予想を裏切ることにはなるけど...

まあ、少なくとも卒論を12月頭までに書き終わるくらいはしていてほしい。この期待を良いほうに裏切るのは、いくらでも大歓迎だ。

あとは6月くらいまでに無限個の内定が欲しいな~。大学受験の時は世間的に良いとされる大学学部5個受かったので、就活も5個くらい内定ほしい。5個といわず500個ほしい。というか、5億円欲しい。

 

5億円。

 

 

マイライフ、2クール目に突入

一年くらい前に書いた日記を再掲

 

 

 

どんなアニメも2クール目はエモい。「ラブライブ!」は1クール目だってもちろん神アニメだったけど、2クール目(2期)は台詞や歌のすべてが1期で築かれた絆や後悔を反映していて、すべてが繋がっているんだということを実感させられた。1期に比べて成長を感じる場面もあった。だから毎回泣いて見ていたと思う。

凪のあすから」もそう。1クール目は話の主旨が見えないほのぼのアニメだったのが、2クール目は物語のテーマが見えてくる。そして、登場人物のそれぞれに葛藤が生まれ、それが深みを増す。1クール目はすべて2クール目のための伏線で、2クール目はそれを回収していくのだ。

つまり何が言いたいかというと、1クール目と比べて2クール目は情報量が格段に増える。一つ一つの事象から得られるものが多くなる。私の人生はたぶん2クール目に入った。最近、今ここにある自分は、過去のあちこちで起こった偶然や他者との関わりや親の思惑によって、ただ一人のかけがえの無い自分として形作られたというように思う。かけがえの無い、というのは誰かにとってとても大切という意味ではなく、もう一度同じものを作ることが出来ないという意味だ。そして、全ての出来事を、意味のある、愛おしいものだと思える。

小学校に入学すると同時に習い始めたクラシックバレエ。素養なく努力もできず、幼稚園の頃からやっていた子達にはついぞ追いつけなかった。中学受験を理由にして逃げるように辞めた。大学二年生の今、自分の意思で、無理をしてでも再開すると決めた。びっくりするくらい楽しく、ああこの時のためにあの5年間があったのだと思った。

失敗に終わった中学受験。6年に上がる時に変わった先生に馴染めず、家での勉強にも身が入らず、結局、第三志望校に進んだ。後から思えば第一志望校は通学に2,3回乗り換えなければならず、第二志望校は近くにろくな塾がなかったので、第三志望校が一番通いやすかった。

大学受験にあたり入った塾。中受の時の第三志望校に通っていたからこそ通えた塾。学校の同じクラスの子にたまたま勧められた講師Aとウマが合い、最終的にその科目でセンターで9割を超えるまでいった。その子に勧められた別の科目の講師Bは(Aもだったけれど)私をとてもかわいがってくれて、紆余曲折あったけれど、私はBの出身校・出身学部を目指し、そして進学することになる。

塾で私はもう一つ自分の運命を左右する出会いをする。A、Bに巻き込まれる形でトラブルに陥った私に手を差し伸べてくれたC。この人に勧められて茶道を始めた。今、茶道のサークルは私の居場所であり、私を成長させてくれる大切なものだ。

そして最後に、今の専攻学問との出会い。私の夢は何年もずっと英語科教師になることだったし、大学も英文科を基準に受験していた。しかし今の大学で私は今まで存在すら知らなかった学問に出会い、それを専攻している。出会えて良かった、運命的な出会いだと言いきれるくらい面白いと思えている。たまたまBの出身校を目指したからこそ出会えた今の専攻。やっぱり運命ってものは存在するのだ。

つまり、小学生の時に親にバレエに通わせてもらっていなければ、中学受験で第三志望校に決めていなければ、同じクラスの子にA、Bを勧められていなければ、気に入られていなければ、トラブルに巻き込まれCと勉強以外の話をしていなければ、Bの出身校に進学しなければ、今の私はないのだ。

人生におけるすべての出来事、出会いは、伏線となって後のある時に作用する。最近それを切に実感している。今までエブリデイコメディのような出来事の羅列だった人生が、連続する物語に姿を変えた。私には過去が見える。そして、未来は見えないけれど、過去や現在と繋がった未来があることが分かる。それが分かった。成長の証と言えば陳腐だけど、成長、だと思う。

 

 

運命について

輪るピングドラムでは第1話アバンで晶馬、Cパートで冠葉、第2話で荻野目苹果が運命について語っている。

 


晶馬「僕は運命という言葉が嫌いだ。生まれ、出会い、別れ、成功と失敗、人生の幸、不幸。それらが全てあらかじめ運命で決められているのだとしたら、僕たちは何のために生まれてきたのだろう。」第1話アバン

冠葉「おれは運命という言葉が嫌いだ。家族という繋がりなんてくそくらえ(意訳)」第1話C

苹果「私は運命って言葉が好き。無駄なことなんて何一つない、私は運命を信じてる」第2話

 


しかし陽毬の見解は語られない。陽毬のモノローグは第21話あたりまでは基本的にない。

陽毬が運命について言及するのは24話エンディング、乗り換え後の陽毬が失ったかもしれない誰かを思い、高倉兄弟に似た少年がかつて高倉家だった家の前を歩くシーン。

「私は運命って言葉が好き。信じてるよ、いつだって一人なんかじゃない」

これは乗り換え前の陽毬の言葉、あるいはもっと私好みに解釈するならば乗り換え前の陽毬から乗り換え後の陽毬へのメッセージ、あるいは願いのようなものだと思う。運命の輪が切り離され、陽毬と高倉兄弟の人生はおそらく交わらない。それでも、陽毬の心臓で燃えているのは、間違いなく高倉兄弟の愛なのだ。陽毬の生、額の傷、ぬいぐるみ、触れる世界のすべては高倉兄弟の愛の証なのだ。だからいつだって一人なんかじゃない、あなたの心臓には愛の記憶があるんだよと、乗り換え前の陽毬が言っているのではないかと思う。

 

先生と私

 

塾講師のバイトをしているので当然のように先生と呼ばれている。こっちとしては時給1000円ちょっとのバイト程度の責任感しか持ち合わせていないし、持ち合わせる筋合いもないが、自分のこれまでを振り返ってみると「先生」という存在には大きな影響を受けてきたなあと思う。

思い出深い先生の話を書いておく。名前はすべて仮名である。前にも書いたことのある人もいるかもしれないが、仮名の統一はしていない。

 

上野先生

10代前半の頃に受け持ってもらった先生。印象深い言葉は「あなたは自分では気づいていないだけで、実はクラスの雰囲気に大きな影響を与える重要な場所にいる」

当時は自分にそんな力があるとは思えなかったしなす術もなくクラスの雰囲気に飲み込まれ、流されていた。当時を振り返ってみても自分がクラスの雰囲気に大きな影響を与えることができたのかは正直分からない。白昼堂々教壇の上でリストカットなんてしたら確かに雰囲気は変わっただろうが、先生がおっしゃっていたのはそういうことではないだろう。

ただ不思議なことに今の自分にはそういう所があると思うのだ。決して常に目立つ場所にいるわけではないが、私の立ち回り一つでいくらでもコミュニティが変わるとは思っている。そういう立ち位置に意図せずして収まってしまう癖みたいなものがあるんだろうか。だとしたら上野先生の人を見る目には敬服だ。

この先生にあまり影響を受けたとは思わないけどとにかくお世話になったので思い出に残っている。

 

船橋先生

この人も10代前半の頃に出会った。なお現在に至るまで細々と交流が続いている。

船橋先生とは面白いことをたくさんした。あまりに面白いのでここには書きたくない。

印象に残っていることは二つ。角田光代の『対岸の彼女』を薦められたこと、「もっと人を信じなさい、信じる努力をしなさい」と言われたこと。

対岸の彼女』はまったく理解できなかった。最近になって先生にあの時薦められた対岸の彼女が理解できなかったですと言ったら、理解できるわけないと笑われた(なぜ薦めたんだ)。

もっと人を信じなさいという言葉は今でもたまに思い出す。どうすれば良かったのか正直分からない。私はそれなりに人を信じているしそれなりに信じていないところもある。それよりも私のどういう言動や価値観が先生にそう言わしめたのかを自覚することの方が大事な気がするが、よく覚えていないのでそれも叶わない。

 

山梨先生

山梨先生は面白い人だ。斜に構えたところが思春期真っ盛りの生徒にウケていた。私は山梨先生と山梨先生を好む人を傍から見て面白がるという更にたちの悪い生徒だった。

嫌いではなかった。そして山梨先生もまた私をそれなりに気に入ってよく構ってくれた。今でもたまに話すことがある。もしかすると嫌いではないどころか結構好きなのかもしれないが、結構好きだとはあまり言いたくないのが私の悪いところである。

あと構ってくれただけでなく勉強の面倒もよく見てくださった。最初に出会った時は「こいつもうダメだ」と思われていたらしいが受験前には絶対に大丈夫ですと太鼓判を押してくれた。ありがたい。結構好きだしマジでお世話になった。

 

市川先生

人格に与えた影響はさておき、私のライフコースに一番大きな影響を与えたのは市川先生だ。

私は市川先生に心酔して市川先生の出身校に進学した。当時の自分ははっきり言って思考停止したバカとしか言いようがないが、それなりにブランドのある学校なので結果オーライ(しかも私の専攻分野の草分けでもある)。

市川先生とは正直価値観が合わないが頭の回転が良いので話していて楽しい。傍から見ていても楽しいので、一人で二倍楽しめるすばらしい先生である。もちろん受験期に私の面倒を手厚く見てもらったことには感謝しかない。

 

葵先生

私がはじめてバレエを習った先生。ずっと葵先生のスタジオにいるので、手の付け方から首の入れ方まですべて葵先生メソッドである。私にとってバレエは葵先生から習うものなので、葵先生以外から習うものはバレエではない。

私にバレエという世界を与えてくれた神様みたいなものだと思っている。これは崇拝しているのではなくたんに世界を作った人という意味だ。

 

こうして振り返ってみると先生と呼ばれる以上あまり変な振舞いをするのも憚られる。私は生徒に大きな影響を与えるとは思わないし与えたいとも思わないが先生という存在は往々にして強い力を持つものなのだ。怖いなあ。

 

バレエと私

 

気付いたらバレエを再開して一年が経っていた。

この一年はサークルの幹部になったり、就活を始めたり、とにかくサークルに時間を取られ、そうは言っても学業も手を抜けず、バレエ以外のことが忙しくて本当に気付いたら一年、という感じだった。

発表会が終わって半年になる。

一年という節目で思うことは、もうブランクを言い訳にしてはいけないということだ。ブランクがある分体ができていないし、足が弱いし、そこは自覚しなきゃいけない。でも、「ブランクがあるからできなくてもしょうがない」は、再開して一年経った人が言っていいことじゃないな、と。

ありがたいことにこの一年の間、何度か「専科クラスに行かないの?」「十分やっていけると思うよ」と言ってもらうことがあった。専科クラスの子や、前に専科クラスにいた子なんかがそう言ってくれた。

お世辞だと分かっていてもうれしい。そう言われたくて頑張っているところがあるので。

私は小学生の時にやめたバレエの続きをしに来たわけだから、ゴールにあるのは健康な体じゃなくて専科クラスだ。それにはレベルが足りないので、頑張っている。

「私には専科クラスなんてとても」なんて言ってはいけない。自分に嘘をつくのはずるい。私は専科クラスに行きたいと思っているのだから頑張らなければいけない。現状に満足する理由を捏造してはいけない。

頑張ろう、また。これまで以上に。そう思う一年の節目です。

 

森見作品を読む 弐

 

誰にでも、忘れられない夏がある。

(映画「ペンギン・ハイウェイ」公式サイトより)

 

先日『太陽の塔』『きつねのはなし』を買ったのをきっかけに、未読だった「ペンギン・ハイウェイ」の映画と原作に触れることとなった。

まず物は試しにと映画を見て、あまりにすばらしかったので原作をお迎えしてしまった。でも、今から思えば先に原作を読んでいたかったかも。自分の頭の中で映像を作ってから映画を見ればその差異も楽しめるので。

感想は、すごくよかった。綺麗なファンタジーだった。これ以外に言うことはない。

けど、それだけだと1年後の自分に罵倒されるので自分なりにあらすじをまとめ、もう少し詳細な感想を書いておく。なにも頭のよさそうなことは書けなかった。

 

研究熱心な小学四年生であるアオヤマ君はある日、自宅近くの空き地にアデリーペンギンを発見した。突如現れたペンギンに街中が大騒ぎ。彼はペンギンを研究することにした。

ペンギンはなぜお姉さんから生まれるのか。「海」とは一体何なのか。

研究を進め、冒険するうちに彼はある一つの仮説に辿りつく。その仮説が証明された時、彼は深い悲しみを知ることになる。

(あらすじここまで)

 

お姉さんは世界の割れ目である「海」を修復する役目を持っており、そのためにペンギンを生み出す。しかしお姉さんは「海」が収縮すると元気がなくなる。また、お姉さんはペンギンを捕食するジャバウォックをも生み出す。

お姉さんはなぜジャバウォックを生み出すんでしょうね。何かを暗示しているのかなあと思ったけど、なんか考えるのは野暮な気がするのでやめました。ただ、お姉さんは海の向こうからやってきた、海と同じ種類のものなのかなと思ったよ。神様そのものだったのかなあ。

お姉さんはペンギンを生み出すし、ジャバウォックを生み出すし、植物を作ることもできる。まるで神様みたい。

アオヤマ君が色々な仮説を検証し、日々世界を広げていくさまがとても美しかった。映画ではただの脇役みたいになってたウチダ君も原作ではもう少し目立っていて、「人は(主観的には)死なない」という仮説はなるほどと思わされる。

全体的にとてもきれいな作品でした。

森見登美彦さんの作品にこんな世界があったなんてと驚かされる。これは『きつねのはなし』を読んだ時にはまったく感じなかったことだなあ。

 

初秋の読書週間はいったんここで一区切り!秋学期が始まるまでの間、秋インターンのESとか書きます。