birth

 

インターネッツの海に個人情報を垂れ流すのはいかがなものかと思うが、先日22歳の誕生日を迎えた。22歳というと19歳「ラストティーン」や20歳「ハタチ」なんかと違ってもはや特別な言葉で祝う歳でもない。ゾロ目だなあと思う。来年は素数だなあとか言ってるんだろう。どちらかといえば四月生まれの私にとっては、年齢そのものよりも大学生活最後の1年の始まりとしてこの歳をとる瞬間を認識してしまっている。

 

何か特別なことをしたかと言われればこれほど特別じゃない日もなかった。朝から大学に行って授業を受け、ゼミ教授との面談を切り抜け、茶道の稽古に出た。偉い。偉すぎる。

昼は白金の方にあるイスラエル料理店へ。期待していたほどおいしくはなかったが素直においしいなと思った。フムスやベーグルに物珍しさを感じる人なら行く価値があると思う。

午後は少し奨学金の申請の準備を始めた。相変わらず父たる人の甲斐性のなさに脱力したが、私が被害者になればなるほどのちのち私にとっては都合が良くなるので耐え。

茶道の稽古に出たら同期から誕生日プレゼントを貰った。やたらキラキラしているこの人はなぜか私と仲良くしてくれる。なぜこんなつまらない私と仲良くしてくれるのかなと思い続けて4年目、ありがたい繋がりをこれからも大切にしたい。仲良くありたい。好きだよ。

 

以前どこかに「私は常に自分の予想を超えている。来年はどんな自分になっているのか楽しみだ、きっと期待を超えているはずだ」と書いた。どこだったかな、おそらく去年の誕生日に書いたと思うのだけど。

一年前の私よ、きみの生きざまは変わらないよ。

今の私は、一年前の私が想像もしなかった姿になっているよ。

 

就活はなかなかうまくいって、いい感じに囲われたりなんかもして、

コールセンターでバリバリバイトして、

大手外資系企業から早々に内定を得て、

彼氏であった人と別れて、

専科クラスに入って、専科クラスとして発表会に出ようとしていて、

TOEICはなぜか930点、

これだけ並べると(彼氏と別れたこと以外は)なんだかとても充実してる人のように見えるね。

 

充実してるかしてないかはさておき全部想像もしていなかった。

だから、きっと一年後も、同じことを言っている。

この先数年はそうなのかもな、とも思う。

願わくば、私が私を、よりよい方向へ連れていきますように。

 

一日一日の積み重ねが、私を未来へ運んでいく。

今日もわたしは元気に歩く。

 

あしたはなにして遊ぶ?

 

 

化粧品について

覚書。

 

・ベース

ラロッシュポゼBB。石鹸落ちで肌に優しいのに一定のカバー力があるのでこれ一択。2018年の12月ごろから使い始めたので暑い時期の持ちがちょっと不安だが、駄目そうなら同ブランドの色が入っていない下地を試してみようと思う(色がない分油分が少なくて持ちがいいだろうという期待)。

あとお金ができたらm.m.m.のスムージングベース買う。鼻の油田対策。

 

普段はBBの上にパウダー。キャンメイクのマシュマロフィニッシュパウダーをずっと使っていたが、ようやくストックを全て使い切りそう。なおまだセザンヌのフェイスパウダーがあるので今度はそれを使う。全部使いきったら毎日パウダーファンデ生活をしてもいいかなと思ってるし、それかチャコットやNARSのフェイスパウダー買ってもいいかもしれない。

春茶会ではもう少しつるんときれいな肌を作りたいので、dプログラムのパウダーファンデを近々買う予定。

 

・ハイライト

キャンメイクのグロウフルールハイライターがラメ感控えめでよかった。セザンヌのパールグロウをつけて自分はラメが目立ちまくることがわかったのでこのくらいがいい。それかセザンヌのマットなハイライターでもいいくらいかもしれない。

 

・シェーディング

チャコットの602一択。他に語ることはない。

 

・アイブロウ

ペンシルで目印を書いて隙間をパウダー。ペンシルはいつも出先で急に化粧直しをしたくなった時に買ってしまうINTEGRATEの。パウダーはずっとなくならないexcelのパウダーを使っていたけど、昨日容器が壊れたので捨てた。確かまだキャンメイクのパウダーがあったはずなのでしばらくはそれ。

キャンメイクもなくなったら定番のKATEかヴィセのパウダーが欲しい。

 

・アイシャドウ

ルナソルのジェミネイトアイズを愛用している。ルナソルの他のパレットとかSUQQUとかTomFord BeautyとかDiorとかのアイパレットが気にならないといえば嘘になるけど、ルナソルのアイシャドウが今すごくお気に入りだからなあ。

 

・マスカラ

キャンメイクのカールキープ透明マスカラをつけて毛先だけヒロインメイクのロングタイプ。自まつ毛に恵まれているのでこれでいい。

 

・アイライナー

黒でにじまなければなんでもいい。キャンメイクでもいい。

 

・チーク

今はexcelの多色チークのブロッサムピンク。ゴリゴリの青ピンクだが最近ずっと一番濃いローズピンクだけ使ってるので次に買うチークはローズピンクだなと思う。キャンメイクとかセザンヌとかちふれみたいなこてこてのプチプラでいいけど、少しお金を出してヴィセとかコフレドールとかでもいいかもしれない。この間CHICCAのチークTUしたけど意外なことにあまり感動しなかった。

 

次に何を買うか悩んでいるのはフェイスパウダー(パウダーファンデ)とチークだなあ。他はもう選ぶ余地がない。アイシャドウも順当に行けばもう在学中買わなくていいくらいだと思う。たぶん。まあ買うけど。

 

辻村深月『凍りのくじら』を読む

 

初読は確か、大学受験が終わったばかりの頃だと思う。

今回は2回目。目まぐるしい季節の変わり目に久しぶりに体調を崩したので寝込みがてらずっと読みたいと思っていたこの本に手を伸ばした。

以下はツイートのコピー。

 

『凍りのくじら』ずいぶん前に一度読んでからもう一度通しで読みたいと思っていて、なかなかその気になれなくて今日に至っていたんだけどやっぱり良かった。ミスリードを誘っている場面をそうと分かって読むと、やはり巧いなと思わざるを得ない。

やっぱり泣いてしまったんだけど今回はなんか、「巧いな」みたいな感情が混じってしまってる分素直な感動から一歩引いた位置に立ってしまってる。初読の混じりけのない驚き、感動、共感、というものって二度と手に入らないんだよな。とはいえ感動という言葉ではもったいないくらい感動してしまった。

「どこにいてもどこにもいない」感覚とか、「物語から全部教わった」みたいなの、何となく共感してしまうな。私も本が好きで大人びてしまっている子どもだったので。

お母さんが亡くなったあと写真集を見る場面とか泣いちゃうよね。たまに挟まれる家族の思い出とかからして趣味嗜好が違ってもすごく愛に溢れる家族で、お母さんは理帆子をとても愛していて、理帆子が受け止めて返すことができない分写真集というかたちで愛を残していて。

あとテキオー灯の場面ね。どこでも生きていけるよ、これの有効期限が切れないうちに自分でなんとかしなさい。君ならできる。

理帆子が本当に一人になってしまう時にお父さんが救い出しに来てくれたんだなあと

なんかもうすごくいい、大好きだこの本。買って自分の本棚に置いておいてよかった。

 

輪るピングドラムを見てきた記憶はもう消せない、『凍りのくじら』の仕掛けももう忘れられない。繰り返し時間をおいて読むことで感じることが変わっていくのはもちろん味わい深いけど、どんな作品に触れる時でも、二度とない初めての感動を大切に味わいたいなと思います。

 

初読の感想は残しておくにこしたことはないよ。私はツイートでこうやって発信するけど流れてしまってだいたいはもう見つけられない。1年前の本の感想ですらもう見つけられず、一方で紙のノートでつけていた中学生の頃の読書記録は今でも手元にある。「紙の冊子」という形態の偉大さを感じるなあ。

 

誰かと繋がりたい、求めたい、求められたい、愛されたい。という人間が人間である限り持ち続ける望みよね。愛の話が好きなんだなあやっぱり。

 

 

最近

新年度のはじまりだ。おはようございます。

 

今日は7時半くらいに目覚めてプロテインパンケーキを作った。どうしても粉ものが食べたかったのだ。

ネットで誰かが公開していたレシピの通りに作ったのだがヨーグルトの水分量の差かあまりうまく焼けなかった。おまけにふわふわしてはいるんだけど雲を食べているような感覚で、食べた気がしなくて混乱して、そのせいか過食に走ってしまった。

朝ごはんにコーヒー、サラダ、プロテインパンケーキ、チーズ、キットカット、クッキー、冷凍のトンカツを食べた。冷凍のトンカツを食べたらだいぶ気持ちが収まったので、やっぱり栄養価だけじゃなくて食品の実体があるものを食べないと心が壊れるなと思った。

どうにか顔を洗ってマッサージしながら新元号の発表を見た。令和、すごく良い響きだと思った。それでだいぶ精神が持ち直して、久しぶりに前髪をオールバックにしてシニヨンを作ってみた。そのあと綺麗に化粧をした。

化粧が終わったら昼ご飯を作った。サラダを作り、食べながら豚肉を焼いた。豚の脂で野菜を炒めた。豚肉野菜炒めを食べた後満腹だったんだけど口寂しくて赤飯をチンして食べた。おいしかった。あとりんごを食べた。それで食欲が収まった。

私的には過食の一日だったんだけどこうして書き出してみるとそんなに大したことはないかもしれない。というか夕飯を食べないことを考えると維持カロリーの範囲内には余裕で収まっている気がする。知らんけど。

やっぱりずっと基礎代謝ギリギリしか取らない生活してるのはダメだね。痩せたいし、頑張らないとこれ以上は痩せられないんだけど、適度に息抜きと栄養補給をしていかないと前に進めない。

 

3月のTOEICの結果が思いのほか早く来た。なんと900点を余裕で超えていた。解いた後の感覚は確かにそんな感じだったけど、なんで上がったのか意味不明。。どういうことやねん。

とりあえずしばらくこれでイキりつつ肝心なスピーキング、ライティングの勉強であったりを頑張ります。英検1級取りたいな。

 

あと最近は春茶会に向けてお濃茶のお稽古をしています。最初にやったときは仕覆のほどき方もおぼつかなくてこれは死んだなと思ったけど、結局やることは平点前だからあっさり慣れてしまったよ。

大学から始めたとはいえ積み重なって身に着いたものはあるんだなと思った。

 

ありえないくらいお金がないのにGUでスカートを注文してしまった。昨日注文して店舗受け取りにしたら今日もう受け取れますとメールが来てガッツポーズしたわ。

本当は今日行くつもりだったけど今日は遊びすぎたからバレエまでの1時間は卒論の準備をして、明日行く。どうせ明日着ないし、同じ方向にあるジムに行くし。

似合うといいなあ。

 

今年度は絶対に今までで一番楽しい年にするぞ!

 

 

覚悟

 

今朝(正確には昨日の朝)見た夢。

 

発表会の役をもらう場面。衣装と同時に役をもらうことになっている。衣装が並べてある第2スタジオへクラスのみんなで入る。

皆それぞれ着る衣装を教えてもらうことで役をもらう。私だけ残る。私の前に3、4種類の衣装があり薫先生がrnxはこの中から選んでと言う。

この衣装の役はそんなに大変な踊りじゃないからこれを選んでもいい。これはちょっと頑張ればできる役の衣装。こっちを選ぶなら相当頑張らないといけないけど、これを選んでもいい。これはもっときついけど頑張るって言うならこれでもいい。

数種類の衣装を順に指し示しながら先生が役を説明する。私は黙って聞いている。

どれにする?rnxが選んでね。どこまで頑張れる?

先生は私を試していた。どこまで頑張るか?覚悟はどの程度か?自分の実力をどの程度に見積もるか?

どこまで自分を追い込むか?

私は脳が擦り切れそうなくらい回転するのを感じながら、ぼんやりとした意識の中で指を伸ばす。これにします、これがいいです。そう言おうとしたところで目が覚めた。

 

発表会までちょうど8ヶ月だった。

 

 

幸福の定義

 

 

幸福の定義を自分の内側に持っている人が好きだ。

つまり自分の世界を持っている人。


他人の指標だけを追い求めていてもいつまでも幸せにはなれない。そういう人は一生、他人から見た幸せを達成することしか考えられず、本当の意味で自分に対して心の底から満足することはない。自分で自分を満足させることが出来ない。

マイペースで自己主張が強いと言われがちなわたしは、意外なことに、他人指標の幸せをずっと追い求めてきたタイプだ。周りと較べてこのレベルにいよう、とか、世間的にこうだからこうなろう、とか。常に遠ざかるゴールに向かって走り続けることしかできなかった。

私生活においても何をするにもするべきかするべきでないかが指標で何ひとつとして自分の意思がなかった。何が好きかと聞かれても答えられなかったし何してる時幸せと聞かれてもよくわからなかった。

ストイックなのは目標があるからじゃない。目標がないから、走り続けることで逃げている。限界まで自分を追い込むことで言い訳をしている。限界まで頑張っている人のことを責める人はいない、そう自分自身でさえもね。

前を見ずに走っていてもどこへもたどり着けないことが分かりきっていた。このまま走り続けたら空っぽのまま死ぬのかなと思っていたし、今でも自分がどうすれば幸せになるのかわからない。この1ヶ月、会う人会う人にその人の幸せの定義を聞いてきた。考えて考えて考え続けて、幸せの定義にはまだ至ってないけれど、脱・つまらんサイコパスの小さな一歩として私は好きなものを見つけた。

バレエ。

私はバレエが好きだ。

今、バレエが好きで、バレエを一生懸命にやっていて楽しい。バレエを練習している自分が好き。

その自覚があるだけで充実している。

 

 

 

以下は周りの人の幸福の定義のメモ

 


・Mさん

日記をつけて楽しかったことと楽しくなかったことを見たら「好きな人と好きなことを好きな時にできる」ことが幸せであることに気づいたのでその状態を達成するために今頑張る。好きな人を見つけてその人の幸せをトレースする

感想:激わかる。幸福の定義を考えざるを得ない点で同じ種類の人間だし幸福の定義は違っても最終的に好きな人の主観をトレースするという結論に至るあたり全く同じ人間である

 


・Sくん

自分がこのレベルになれば幸せかなという水準(たとえば年収)があってそれを達成するために必要な努力の程度が分かってるのでそんなに頑張らなくても焦らないでいられる。自分の幸せの基準を自分の主観で決めている。まあこんなもんかみたいな意識がある

感想:めちゃうらやましい。真似したいけど、無理

 


・Tさん

そこそこの人生を歩めればオッケーかなみたいな意識がある。めんどくさいかめんどくさくないかを評価基準にしている。中学の時サッカー強かったのに高校入って全然レベルが違ってレギュラーにもなれなかった挫折から自分は頑張らない側の人間だなと思った。怒られるのも怒るのも嫌いなので自分に対する期待値を意図的に下げてまあ達成できるかなという目標を達成して満足する。

ゴールまでの距離が常に一定であるrnxとTさんは本質的には同じである。それに満足しているかどうかが違う。自己肯定感の有無の差。

ここで私の目標が自己肯定感の獲得にシフトする。

 


・Kさん

幸せと感じられるかどうかは自分の選択に自信があるかどうか。自分で根拠を持って自分の選択をしていればどんなに他人の指標から外れていても自分は満足。

感想:最近自分が幸せな理由がわかった。バレエをしている自分の選択を信じられるようになったからだということ

 


色んな人の主観を追体験してわたしはわたしの世界を形作っている。わたしは物語を読むのが好きだったなとふと思い出した。人間こそが一番の物語だね。

 

TOEICで無双した話

 

華奢なもので通りすがりのサラリーマンにナメられがちなrnxです(きっちり反撃させてもらってる)。

 

最近はというと

・ゼミ教授との面談その他もろもろの予定で全然ジムには行けてない

・でも宅トレはそこそこやってる

・週3バレエ生活

・一日一食はプロテイン

・職場の推し社員が目の保養

みたいな生活をしています。

 

そう

お分かり頂けただろうか…

 

英語の勉強をしていないんである

 

外資系企業への就職を決めたのにも関わらず

 

英語の勉強をまったくしていないのである

 

 

 

はっきり言ってやばい。

なので3月のTOEICを受けて惨憺たる点数をエンジンに勉強しようと思ってたんだけど…

 

余裕で解き終わってしまった。

 

前日と当日にちょっとだけリスニングやって、当日にちょっとだけ「TOEICで高得点とるコツ」みたいな本を流し読みして、プロテインを飲んで臨んだ激ヤバな回でしたが、5分余らせて見直しをするという人生初の快挙を成し遂げてしまった。

もうね、14:50に確信したよ。

俺は天才だ、ってね。

 

TOEICって英検よりも自分の主観的な出来の善し悪しが実際の点数と相関する傾向にあるから、まあ、少なくとも800点は割らないと思う。(と俺は信じている。)

実際の点数は4/9にならないと分からないけど。

 

となると謎なのがなんで英語力が落ちるどころか上がっていたのかという話である。

最後にTOEICを受けた1年前は、大2の1年間で英語上級クラスでビシバシ鍛えられまくった上に専攻の必修科目でも英語文献を読んでいたので英語力が爆上がりしたのも納得できる。

しかし大3の1年間は一切リーディングの課題がなく、英語らしきものをポツポツ喋るだけでSが来る激ユルのスピーキングクラスに週1回出る以外はほとんど英語に触れない生活だった。はっきり言って700点台を叩き出しても何もおかしくない生活だったのだ。

仮説としては英語を理解する能力が奇跡的に維持され、理解した情報を処理する言語によらない能力が上がったんではないかということを考えている。まあ頭を使った1年間ではあったので。

それにしても謎だ。

 

まあ点数は4/9まで分からないし、点数の理由は一生分からないので、しばらく忘れて今日から2日間合宿を楽しみます。

 

 

今回の記事のまとめ:おれは紛うことなき天才